東京有名会のこと

1985年頃、日銀名古屋支店に営業課長職として勤務したことがある。

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まさに同じ年の9月、アメリカはレーガン政権下で敏腕のベーカー財務長官がリードしてプラザ合意がなされ、その後途方もない急ピッチで円高が進行、わずか2年ほどで1ドル260円から130円へと突入していった時期であった。

たまたま、時の澄田総裁のお供で名古屋のとあるホテルでの講演会に出かけたが、もちろん未曽有の円高への世間の批判は強く、不測の事態回避のための警備陣の配備も尋常ではなかった。

総裁も、講演のさなか、「今入っていた情報では1ドル203円(実際は213円)になっております」と10円も間違え慌てて講演の最後に訂正する、といったあってはならないハプニングにまで見舞われた。

そんなあわただしい頃、かって出向していた頃に親しくなった開銀(今の政策投資銀行)の飯倉企画調査課長と頻繁に情報交換していたが、とある日のこと「朝日新聞の名古屋経済部長に箱島さん(のちの朝日新聞社長)という面白い人がおられるので、一度会って食事でもしないか?」という話を持ち掛けられ、二つ返事でお受けした。

その後会合の仲間は、日経新聞名古屋支局、NTT名古屋支店、東海財務局、中部通産局などのやはり中間管理職仲間へと輪が広がり、さらに東京に転勤してからも「東京有名会」という名前で、毎年一回七夕の前後の金曜日夕方に「まるでおりひめとひこぼしのように天の川を挟んで出逢い」お互いの消息を確かめ合うようになった。

今年の7月7日はまさしく金曜日で、総勢13名の仲間が集まり、この一年間の自己反省とこれからの一年の自らの研鑽計画を披露しあったが、なにしろ名うての論客ぞろいとあって、話題はかなり多岐にわたり、戦後の日本政治をどう考えるか、憲法改正問題の行方、安倍政権の評価、小池都知事の手腕、といった生々しい話から少子化問題の行きつく先、黒田日銀総裁の現下の金融政策と歴代中央銀行総裁論等々ともかくアルコールの勢いも借りて夜更けまで熱い天下国家論が飛び交った。

来年はどんな年になっているか?議論にさらに磨きをかけ、意気軒高な「東京有名会」での七夕再会を約してお開きとなった。

将棋界のビッグニュース

最年少プロ将棋棋士藤井四段の歴史的偉業に日本列島が沸き返っている。

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どちらかというと、囲碁に比べビッグニュースの少なかった将棋界だけに、羽生名人はじめ関係者が手放しの喜びようである。

最高賞金の竜王戦で目下の新記録をどこまで伸ばすか?関係者はもちろん、マスコミのはしゃぎようも半端じゃない。

このブログが掲載される頃には日曜の対戦結果が出ているので、さらにヒートアップするか?

それともとりあえずの連勝ストップで一段落するか?

時を同じくして、最長老77歳の加藤一二三九段が現役引退、将棋界は話題ふんだんでかまびすしいほどである。

先日、親しい友人が「藤井四段の新記録達成と同じ頃、高校球界ではあの早実清宮選手がホームランの新記録を達成したが、こちらはほんの小さな記事で、知らない人も多い。

同じ若者世代の台頭なのに・・・」とぼやいていた。

将棋の歴史を少し探ったところ、そのルーツはチェス同様BC200~300年インドのチャントラガで四人制サイコロから始まったとのことで、日本へは奈良時代の遣唐使吉備真備が中国から持ち帰ったとのことである。

ただ、同じく吉備真備が中国から持ち帰った囲碁に比べると世界的人気は今一つで、むしろチェス人気のほうが各国に広がった。

一方、囲碁は日本では平安時代は貴族や僧侶、その後武士や庶民にもひろがり、江戸時代には「本因坊秀和」や「井上幻庵」(売れっ子作家百田尚樹の力作あり)といった伝説的棋士も生んでいる。

世界的にも囲碁人気には広がりが見られ、最近では中国、韓国、台湾の若手棋士台頭が目覚ましく、日本のトップ棋士井山名人が劣勢に追い込まれる対局も少なくない。

それだけに、将棋界では、今回の若手スター誕生を契機に将棋人気の復活へ関係者の熱い視線が注がれてように思われる。     (7月1日土曜日記述)

ヨモギ(蓬)の匂いとヤマモモ(山桃)の実

梅雨だというのに、今年はさわやかな日が続いている。

よもぎとヤマモモ

朝の散歩が楽しい。

さらにこの時期ならではの楽しみも加わる。

散歩コースに、競うように伸びてくるたくさんのヨモギの草々とその周りにこんもりと生い茂るヤマモモの深緑の樹である。

もちろんその緑もさることながら、そこには幼いころの思い出にひたれるひとときがある。

群生するヨモギは日に日にその背丈が伸びてくる。

春先は足元にチョロチョロと生えていたのが、最近は肩ぐらいの高さまで生い茂り、先端は柔らかく近寄ると香しい匂いが何とも言えない。

ヨモギ餅ができるほどゆえ、もちろん食用に利用されるので、先端を摘み取って指先でもみほぐし、柔らかくなって草液が出てくるようになると匂いが濃くなり、その香しさが何とも言えない。

少し噛んでみると甘みを伴った薬草のような味がよみがえる。

周囲を見回すと、こんもりと生い茂ったヤマモモの葉の間から鈴なりの赤い実が鳥に見つからないようにひっそりとあちこちから覗いている。

幼いころ住んでいた鳥取の生家に大きなヤマモモの樹があり、近所の遊び仲間も呼んで木登り競争をしながら、我先にヤマモモの赤紫の実をほおばった頃が懐かしく思い出されてきた。

早速、毎朝散歩の後に出会うラジオ体操仲間の老人会メンバーの人にその話をしたところ、「道にたくさんの実が落ちて汚いですね。あれは食べられるんですか?」と聞かれ驚いた。

90歳近い人生の大先輩で昔ののどかな思い出はたくさんお持ちだと思っていたが、神戸の都会育ちの方でヤマモモの実が甘酸っぱくておいしいことをご存じなかった。

どうやら今年はヤマモモの「生(な)り年」のようだ。

山本周五郎の「青べか物語」

最近は、かつて気に入っていた作家の本を書棚から引っ張り出して読み返すことが多くなった。

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司馬遼太郎、藤沢周平、向田邦子そして山本周五郎と多少乱読気味だが、いずれも読み返してみるとそれぞれ味がある。

近読の山本周五郎の「青べか物語」は特に浦安に住むようになってから、気になっていたのでほこりをはたきながら手にすると、これがなかなかの読み応えがある作品であった。

時代は昭和初期、作家自身が青春の一時期過ごした千葉県浦安町を舞台にしている。

東西線が開通するまでは「陸の孤島」と呼ばれたこの地も今やデイズニーランドのメッカで若者の溢れかえる見違えるような近代都市に変貌している。

物語の舞台「浦粕町」(浦安)は「根戸川」(江戸川)下流の漁師町で、「青べか」とは青色のべか船(一人乗り小舟)のことで、「芳爺さん」からこのぼろ船の青べかを買わされるところから、この物語は始まる。

主人公の「私」こと「蒸気河岸の先生」は物書きで釣り好きの作家周五郎自身のようであり、実体験を踏まえた私小説風な作品となっている。

さびれた漁村に住むようになった「私」は「長」という13歳の少年と「倉なあこ」(あにきという程度の意味の方言)という青年に援けられながら、次第にこの荒っぽいがどこかぬくもりのある村人たちに溶け込んでいく。

そうしたなかで、両親に捨てられ、海苔漉き小屋で寝泊まり、墓場の団子で飢えをしのぐ「繁あね」とその妹とのふれあい、さらには石灰工場で石灰がこびりつかないように男も女もほぼ全裸、丸坊主で眉毛も腋毛もそり落として働く異様な風景、こうしたおどろおどろしい体験にも遭遇しながら、ほどなくして逃げるように「浦粕町」を出ていく。

しかし、なぜか「浦粕町」のことや「長」少年、「倉なあこ」青年、そして「繁あね」さらには「芳爺さん」のことなどが忘れられず、30年後訪ねて行き立派に成人した「長」と出会う。

再会後の彼は、「蒸気河岸の先生」の記憶は定かではないが、その後の村人たちの成長ぶりや石灰工場などの変貌ぶりはていねいに教えてくれる。

ただ、「青べか」だけはその後もなぜか消息不明のままこの物語は終わる。

「生涯現役論」(佐山展生、山本昌対談)を読む

面白い本に出くわした。

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日銀を経て、西京銀行、高速道路会社経営を経験、今なおベンチャー企業のサポーとビジネスを楽しそう(一見)にやっている姿を観て、昔の仲間たちからは「もうすぐ後期高齢者入りだけど、いつまで現役を続けるつもり?」と半ばあきれ顔で聞かれる。

「お声がかかる限り。晩年、中小企業診断士であった父は78歳で亡くなるまで現役だった。DNAとするとあるいはこちらも生涯現役かも?」と答えている。

そんな中、ユニゾンキャピタル時代から20年近く親交のある佐山さん(大学の後輩先輩で、しかも高校は京都で近接の洛星と山城の奇縁)の対談集が出版され、しかもお相手が「プロ野球界のリジェンド」山本昌さんということで、このタイトルに惹かれむさぶるように一気に読み切った。

一言で、締めくくると「生涯現役論」と同時に「生涯一書生論」「逆境克服論」であり、示唆に富んだ実話が満載である。

ともかく、はっとさせられ、なるほどと深く感銘を受けたエピソードをいくつかご紹介したい。

 

山本さん ・・・

中高補欠の野球少年が、なぜドラゴンズのエースにまで上りつめ、プロ野球記録の50歳まで現役が続けられたか?

かろうじてドラフト5位でドラゴンズに指名、先輩からは「お前は一勝もできない」といわれ、日本から追い出されて(星野監督からは「アメリカで死ぬまで走ってこい」とアドバイス)として渡米した

最後まで厳しく鍛えてくれた星野監督、新しい球種を教えてくれたドジャーズオーナー補佐アイク生原さん、そして鳥取のトレーニングセンター小山先生(イチロー選手も教え子)との出会い。

星野さん後任の高木監督、落合監督、そして古田選手、工藤公康選手に刺激され、現役の栗山監督や大谷翔平選手には熱い視線を送る。

趣味のラジコンカーやクワガタのブリーダーそして麻雀からも貪欲に学ぶ。

 

佐山さん・・・

高3の夏まで野球部活を続け、京大工学部(建築に失敗、合成化学へ)から帝人へ。

下積み現場勤務から脱皮しようと司法試験にチャレンジするも挫折。三井銀行でMA人材募集に惹かれて応募。

本場アメリカでMAビジネスの真髄を学び(MBA取得)、東工大で博士となり、敏腕MAコンサルタントの傍ら、一橋大院で今なお教鞭。

富士登山で学び、いまも年一のフルマラソンで鍛える。

長嶋茂雄監督を最も尊敬しているとのくだりに共鳴(拙著「銀行の未来は明るい」の推薦文を書いてくれた魅力あふれるスーパースター)。

「今の自分は10年後の自分より10歳若い」との名セリフがいい。100歳まであと40年の「余生」があるという。

あわせて、たいへんな「聞き上手」でもある。

敏腕の投資ファンド代表者で航空会社経営者の佐山展生氏とプロ野球界のトップスター山本昌氏、畑の全く異なるお二人の対談がなぜ生まれたか?

実は、佐山さんのかねてから親しいビジネス系ニュースキュレーションサイト「ニューズピックス」編集長から、野球つながりで「プロ野球史上最長32年間現役を続け、最近引退された山本昌さんと対談してみないか」との話を持ち掛けられ、「夢のような話だ。生涯現役として生きるためのヒントになればとの思いで、喜んで引き受けた」、とのことである。

是非一読をおすすめしたい。

「追憶」を観る

大ファンの故高倉健つながりで、降旗康男監督、木村大作撮影の近作「追憶」を観た。

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やはり期待を裏切らないいい作品であった。

主演の岡田准一君も「海賊と呼ばれた男」や「永遠のゼロ」に負けず劣らずの好演で彼に絡んだ相方の小椋旬君もなかなかのものであった。

ストーリーは、1992年冬の能登半島、親に捨てられた13歳の少年四方篤(岡田准一)が同じような境遇の親友二人田所啓太(小栗旬)と川端悟(柄本佑)とともに軽食喫茶「ゆきわりそう」を営む仁科涼子(安藤サクラ)と店の常連客山形光男(吉岡秀隆)を親のように慕い、家族のような生活を送っていたが、そこへかっての涼子の男貴船(やくざ風)が現れ篤や涼子たちの生活がずたずたに引き裂かれる。

皆既日食が富山湾に美しく映えたとある日、三人の少年は涼子たちとのささやかな幸せを守るため金属バットを握りしめながらある決意をする。

それから25年の歳月が流れ、篤は富山県警の敏腕刑事になっているが、捨てた生母には老後金をせびられ、妻(長澤まさみ)とも流産を機に隙間風が吹き、私生活は必ずしもうまくいっていない。

そんなある日、ラーメン屋で昔の親友悟に出会い、資金繰りの窮状を訴えられるとともに、「もう篤ちゃんは昔のことは忘れちゃっていいから。啓ちゃんに任せておけば大丈夫だから・・・」というセリフを残し、篤と別れた。

その翌日悟の遺体が富山湾のさびれた漁港で発見され強い衝撃を受け、複雑な思いを抱えながら単独で捜査に乗り出す。

過去を抱えた3人の少年、罪を背負って刑期を終えた涼子(認知症)、そして今も涼子ファンの光男、さらには輪島で土建屋を構えて成功している啓太と身重な妻(木村文乃、獄中で涼子が生んだ娘)、複雑な人間模様を丹念に描きながら、事態は思わぬ方向へと展開していく。

ミステリアスなストーリーの中に、親友や周囲の県警仲間とのぬくもりも感じさせる奥の深い作品となっている。

ラストシーンでは、冷たくも美しい北陸の海を眺めながら、記憶を失った涼子をマリヤのように慕う悟が涼子のセーターに顔をうずめ何とも言えない幸せな笑顔を見せる姿が忘れられない。

戻ってきたショウジョウトキ

今から3年ほど前のことである。

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毎朝の散歩コースで、近所の公園にあるバードケージで4羽の美しいオレンジ色をしたショウジョウトキを見つけ感動したが、その記憶が今も残っている。

同じマンションに住む子供と孫たちにこの話をしたところ、「早速見に行ったが、とてもきれいだった」との弾んだ報告があった。

このオレンジのトキが、今年の冬場はケージからいなくなり、とても気になっていた。

とある寒い朝、近くに建てられた看板に「インフルエンザに感染するとといけないので、しばらく室内で飼育します」とあった。

しばし寂しい思いをしていたが、公園の桜が散り若葉が美しく映えるようになったころのこと、あのオレンジ色を羽ばたかせながら4羽ともケージに戻ってきた。

しばらくたたずみ、丹念に小屋の隅々まで覗き込んだ。

驚いたことに、このショウジョウトキに交じって2羽の色のやや異なった新しいトキがくわわり、総勢6羽に増えていた。

すでに生育した新しいタイプであり、冬の間に雛が育ったという感じはなく、どこかから運ばれてきたのであろう。

あるいは繁殖目的で増やしたのかもしれない。

ともかく6羽になり時折羽を広げたり、仲良く餌をついばんだりしながら、枝から枝へと飛び交っており、周りの緑の若葉とオレンジのトキが見事な色彩のハーモニーをかもしだしてくれ、朝の散歩に楽しみが一つ増えた。

世界遺産のコインブラ大学と図書館

GW中に出かけたポルトガル旅行では多くの世界遺産との出会いがあった。

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その一つに、1290年ポルトガル王デイニス1世が当時の首都コインブラに設立した世界屈指の伝統名門校「コインブラ大学」とそのキャンパスにある教会内の「ジョアンナ図書館」がある。

日本最初の東京帝大が1886年だから、彼我の差は600年近い。

欧州名門大学のオックスフォード、ケンブリッジ、リヨン、ボローニアなどで構成される世界最高峰の学術研究グループ「コインブラグループ」の冠称ともなっている。

リスボン、ポルトに次ぐ第三の都市コインブラには、大学町そのものの姿が今なお色濃く残されており、学生の制服である黒マント姿があちこちで見受けられ、学資の足しにするため街頭で鉛筆などを売り歩くマント学生に出くわし、記念に何本か買い求めた。

旧校舎に設立された大学図書館も、大学同様この類では珍しい世界遺産としていかめしくそびえており、天井までうずたかく積まれた30万冊を超える蔵書に圧倒される。

撮影禁止はもちろんのこと、蔵書の貸し出しも学者と許可された学生だけで、一般の利用はできない厳格さである。もっとも、ラテン語の書物が大半で、利用者が限定されるのもうなずける。

本の虫食いを防止するために、いまも虫を食べる「コウモリ」が飼われているとのことで、薄暗い館内に似つかわしいひんやりとした雰囲気が伝わり、ガイドの説明もそこそこに館を後にした。

雨に見舞われたあいにくの大学町見学ではあったが、珍しい世界遺産との出会いで歴史の重みと学問の殿堂のいかめしさを改めて感じさせられる一日となった。

 

 

歴史と巡礼の聖地ポルトガルを旅する

ゴールデンウィークを利用して、ポルトガルからスペイン北部へと小旅行をした。

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ポルトガルと日本とは江戸時代以前から交流があり、種子島への鉄砲伝来やフランシスコ・ザビエルの来航、天正遣欧少年使節団のリスボン上陸、さらには、ヴアスコ・ダ・ガマのインド航路発見、マゼランの世界一周など、世界史の教科書に出てくるできごとや人物も少なくなく、それなりの予備知識はあったが、現実に足を踏み入れると、いくつか新発見があった。

かって、イギリス、スペインと並ぶ「海洋国家」として、一時代を築いたが、スペインによる併合、フランスナポレオンの侵攻、さらにはイギリス軍の支配など幾多の困難な道のりを経て、最後の属領であった大国ブラジルまでもが独立、今やユーラシア大陸最西端のロカ岬を有する小国(人口10百万人、国土は日本の四分の一)となり、産業革命をいち早く成し遂げ、その後世界をリードし今なお列強に名を連ねるイギリスとはすくなくとも国力という意味では大きく水をあけられている。

一方で、この小国はキリスト教とのつながりが深く、国民の9割がカソリック信者といわれ、教会や寺院がどの街にも数多く点在する。

首都リスボンでは年代物の路面電車が急坂を往来、ラテン民族特有のおおらかな市民の足としてフル稼働、夜更けともなると情熱的なファドの民謡とワインに酔いしれるこの国もリスボンを離れると様相が一変する。

バスで北上してカソリックの聖地ファテイマへと足を踏み入れた。

ここは第一次世界大戦中に聖母マリアが出現したと言い伝えられている街でカソリックの聖地とされており、とくに今年はマリア降臨から100年をこの5月13日に迎えるとあって、世界中から100万人の信者が広場に集い、祈りながら膝で歩を進める長いコンクリートの道があり、すでにその膝歩き姿で歩を進める敬虔な信者が数多く見られた。

さらに北上すると世界的な大学町のコインブラ(神学と法学の殿堂)で黒いマント姿の学生に遭遇、そのまま第二の都市ポルト(ポートワインで名高い)へと向かった。

国境を越えてエルサレム、ローマと並ぶキリスト教三大聖地サンテイヤゴ・デ・コンポステラへと足を踏み入れると、ここでもヤコブ信仰の熱い信者の巡礼姿に出くわし、年配者の多いなかにあってはるかルーマニアから1万キロを走駆してきたという若者集団に圧倒された。

ほんの短い旅ではあったが、そこには、かって有数の歴史を誇ったポルトガルが今なお祈りとともにひそかに息づいている姿があった。

シロとチャッコウ(茶公)

先日、あるテレビ番組で「あなたは犬派か?猫派か?」という放映があった。

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どうやら猫よりも犬の愛好家のほうが多いようだ。

このところ少子化もあってか,世をあげてペットブームで、犬猫もとより、小鳥や亀、蛇など爬虫類の愛好家も増えているという。

タイトルの2つのカタカナは、いずれもこれまでに飼ったことのある愛犬(オス)と愛猫(メス)の名前である。

彼、彼女と過ごした日々をさらっと振り返ってみたい。

シロ・・・近所の小学校の草むらに捨てられていた子犬を見つけ、弟と一緒に親に隠れて残りご飯をやったりしていたが、ほどなく見つかり「必ず二人で面倒見るから」との約束で、家族に加わることになった。

まだ小学高学年で巷には戦後の雰囲気が漂う昭和20年代後半の頃である。

小柄な犬で体全体は白っぽかったが、目の周りに茶色の縞模様があり、愛嬌があった。

京都府下を福知山から宇治へ、そして京都市内へと愛犬も転居した。

家がだんだん狭くなり隣家との塀際に犬小屋を作ってやったが、「夜間の吠え方がひどい」との苦情が入るようになり、我々二人が

不在の時にひそかにいなくなってしまい、両親に食ってかかった苦い思い出がある。

チャッコウ・・・社会人になって7~8年の頃、ワイフと3人の子供ともども神戸の社宅に住んでいた頃である。

物置で生まれたての捨て猫のか細い鳴き声がするので恐る恐る覗きに行った。

しばらく物置でミルクをやっていたが、そのうち窓にしがみついてきて離れなくなり、会社はもちろん、ワイフや子供たちとも相談し、家族に加えることにした。

その後、東京、福井、東京、釧路と転居したが、愛猫もボストンバックに入りながら転居、長寿を全うして今なお釧路のペット霊園に眠っている。

ともかくワイフにべったりで、臨終の間際は一週間添い寝をしてもらいながら息を引き取った。

茶色の縞模様で、なかなか気が強く敏捷なところがあり、ネズミはもちろん、時にはへびと格闘したりしていた。

庭のある家に住んでいた頃はいいが、マンション住まいの今となってはペット飼育もままならず、やむなくU tube画面にとある猫愛好家から投稿される「マルちゃん」便りにワイフ共々はまってにんまりしている。

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