第1章 等級制度② ―等級制度で何を決めるのか―

第1章 等級制度② ―等級制度で何を決めるのか―

2019年5月14日 0 投稿者: 大橋資博

等級は何のために存在しているのだろうか。
聖徳太子の「冠位十二階」とか中国の「九品官人法」といった言葉を聞いた記憶がある人もいるかもしれない。これらは対象が一部の人間ではあるものの、人材を等級によって分けて、その等級ごとに役割や権限を分類しているという点で、一種の人事における等級制度のようなものと思う。冠位十二階を制定した目的は定かではないということらしいのだが、対外的な必要性や人材登用のためという説を見ることが多い。例えば他国の使節と応対する際に、相手の国家における地位・レベルに合わせてこちら側の対応人物を決めることが出来るようにするための基準であったり、こなす朝廷政務にはじまり、衣冠束帯や刀剣のような身に着ける品のレベルに差をつけて、より多くの権能を目指すための基準であったりしたということだろう。そう考えてみると今の等級制度と意味合いはほとんど変わらない。卑近な例で今でこそそういう組織は減ってきたと思うが、役職が上がっていくと座ることのできる椅子のグレードが上がるため、「早く袖付きの椅子に座りたいな~」という発言を若い時によく聞いたものである。それと同様で、社内において格付けを落とし込むには色の違う装束を身にまとうのはわかりやすい方法だったのだろう。


  さて、対外的な意味合いでの等級制度の意義について改めて考えてみたい。前回のコラムのケースでも書いたが、相手の役職が自分と大きく異なる場合、様々な感情が起こるものである。とりわけ、自分の役職の方が高ければ「低く見られた」とか「相手は自分の会社とは格が違うと思っている」と不満に思うこともあるだろう。しかし等級制度に万国共通のルールなどは無く、業界内だと多少は想像がつく場合もあるが、それにしたって標準的なものなど存在していない。したがって本来ならお互いに役職に大きな差が生じていても問題はなさそうである。自分が部長で相手が一担当者でも、「うちは部長がこの案件を担うことになっているが、向こうの会社では一担当者がやっているんだな」と思えばよいはずである。しかし、実際のビジネスシーンではそのような「役職越え」はできない。やはり、どの役職の人がきたらどういうレベルの人間が対応するか、と役職合わせをすることが往々にしてある。より正確には、「企業規模(企業の格)×役職」のクロスで自動的に何となく普遍的基準での位置づけを行っているわけだが、つまりどの程度の裁量や影響力を持っているのか、をにらみつつちょうど良い頃合い同士で土俵に立つのである。私は、基本的には自分より格上だな、とか、大きな力を持つな、と思う人とやり取りをする方を好んだが、そうなると場のセットという点でハードルが高くなる。また、場合によってはすぐに良い結果を得ることが出来るかもしれないが、最初から軽んじられて即退場というリスクもある。最終的には、案件と自分の力量を見極めたうえで、役職越えをするのか、役職合わせをするのかを選んだ方が良さそうである。


 一方で、人材登用になってくると違う考え方が必要であろう。人材登用においては等級が上がっていくことはインセンティブの一つである。当然、等級に報酬が連動しているのであればなおさらである。したがって企業規模とか上場といった要素もさることながら、純粋に社内の等級自体が価値を持っている。冠位十二階が報酬のような面でどの程度の基準的要素を持っていたのか分からないが、おそらく位階が異なれば得ることのできるものは違ったであろう。等級制度はこの段差がある点で、数ある人事施策の中でも人材コントロール力が高いものといえるため、戦略的活用がしやすい。したがって人材登用としての等級制度を考える際に気を付けなければいけないことは、「等級」と「パフォーマンス」の適合性である。同じ等級にいても全然パフォーマンスが異なるというケースは山ほどあるだろう。しかし、等級定義を事細かく決めて、その条件に合致した場合のみ等級をあてがう、などと言うことをやっていたらきりがない。私は、等級の段階が多すぎることに問題があると思うが、等級の段階を減らすということは報酬や昇格と言ったインセンティブ機会が減少し、モチベーションダウンを生むということも留意点である。少ない等級で運用しつつ、モチベーション機会を設ける。これが人事パーソンの腕の見せ所であろう。


 しかし最近のフラット型組織は有効であろうか。私は、このフラット型組織はある程度規模が小さい会社では機能的だと思うが、大企業には向いていないと思っている。フラット型組織のメリットで一番大きいのは、意思決定の迅速化だと思っている。したがって本来は大企業のように組織が複層化している場合に効果を発揮するのだと思われるかもしれないが、むしろ逆ではないだろうか。というのも、大企業は企業が取り扱っている要素が非常に広範にわたっており、何かを決定するときに一つや二つの要素だけでは判断しきれないことが多い。そうなってくるといくつかの要素を束ねる段階を設ける必要がある。また、フラット型は文鎮型と呼ばれるように、上に立つ一人が大きな重さ(人材)を抱えることが求められる。その重さに耐えて、下についているものたちを十分に引っ張ることが出来る取っ手であれば良いが、そこまで強いリーダーシップを持つ人材がどれほどいるかということである。実際のところは、大きな組織では役割の分担と同時に責任の段階化が必要であろう。
 ちなみに冠位十二階と同様に聖徳太子によって定められたという「十七条の憲法」(行ってみれば就業規則)の十一条には、「功と過(あやまち)を明らかに察(み)て、賞罰を必ず当てよ。(略)」とされており、いわゆる成果に応じた処遇を行うことが示されている。そう考えてみると、あといずれやってくる三十世紀になっても、実は成果主義とか等級制度といった仕組みは残っているのであろう、、、と思う次第である。