■時事ネタコラムvol.13 「就活アプリによる事件 ―OB訪問と人事の役割―」

■時事ネタコラムvol.13 「就活アプリによる事件 ―OB訪問と人事の役割―」

2019年3月7日 0 投稿者: 大橋資博

 就活アプリを悪用した就活生に対する強制わいせつ容疑で大手ゼネコン社員が逮捕された記事が出ていた。大いに呆れる事件だったわけが、このようなリスクはおそらく前もって認識されていただろうし、この話は氷山の一角にすぎないだろう。こうした被害を発生させないためには学生側にも警鐘を鳴らす必要はあるだろうが、会社として社員管理のあり方を見直してOB訪問といえどもルールを設けるとともに、勘違い社員を厳しく律していくことが急務だろう。最近は社員を管理するとか律するという言葉が正しく理解されずに一方的に「悪」のようなイメージがついているため企業が及び腰になっている部分がある。会社は社員とは契約関係を結んでおり、社員には会社の成長に貢献(どういう言葉で表現されているかは企業によって異なるだろうが)してもらい、その対価を支払っている。会社の成長に必要な社員管理であれば堂々と行っていくべきである。結果としてこうした事件が起きてからでは遅いのである。



 私自身、OB訪問をしたことも受けたこともある。OB訪問を受けるのは基本的に顔を知っていた大学等の後輩がほとんどだったが、自分の勤務する会社に興味を持ってくれて、面識が無いにもかかわらずつてを頼って訪問を希望してきた女子学生もいた。そういう時は自分の会社の女性社員をもう一人連れて行って3人で話をしていた。特に意識したというより、自然と「同性ならではの相談も出来るし話しやすいだろう」と思ったからである。OB訪問は企業側のPRの場にもならないと言えばウソだが、基本的には学生が自分のために行うことであり企業側は協力する位置づけである。その学生にとって為になることを優先的に考えるべきであるし、もしそれが出来ないのであれば本人にとっても自分にとっても無益なことと理解して会うべきではないだろう。


 さて、冒頭の件は就職活動という場におけるOBと学生という立場であるため、一方が優位性をもって他方を支配することが可能な関係性が存在しているが、これと同じようなことが社内でも起きている。
 就職活動における就活生のゴールは内定を得ることで、当然ながら自分が希望する会社であることが究極の目標である。これを会社内の世界に置き換えて考えると、希望の部署に行くこと、希望のポジションに就くこと(昇進や昇格)とも言い換えられる。そこにおいて人事部というのは他の部署の社員からすれば人事異動や昇格といった権限を握っていると思われがちであり、目を付けられたくないという気持ちを持つこともあれば、仲良くしたいという気持ちを持つ人もいる。前者は気を引き締めることにつながるのであればまだ良いと言えるのだが、後者については仲良くするために無理をするリスクや問題が存在する。よくあるパターンは、若手社員が人事部の人間とつながりを持つために、本人の意思とは裏腹に人事部の人間との飲み会に参加したり、時にその関係を活かして自分の気に入らない社員を誹謗中傷したりすることである。ある意味で人事部側からしたらトラップかもしれない。
 そんなものは人事部の人間が良識を持ち、事の判断を間違わないでいればよいだけの話である。まさにその通りであって人事部はそのようなリスク等があることは織り込み済みで社員と接する必要がある。しかし人事部の人間が揃って聖人君子とまでは言わなくても分別のある人間ばかりかと言えば、残念ながらそういうわけでもないのが現実である。それは人事部員としての適性を考えないまま安易な配置が行われていることにも原因がある。私自身の考えとしては、人とは違う特別な感性を武器にしていたり、ドラスティックな判断を嗜好したりする人は、会社全体の「ヒト」に関する情報が集積し人の感情や思いに直接影響を与えやすい施策を運用する人事部の人間としてあまり向いていないと思っている。したがって人事部に配属する人間、特に人事管理に携わるポジションの人間には、人物面を十分に見定めたうえで人選する必要があると考える。この点については、人事コラムの本編における人事部の役割に関する章で詳しく述べたいと考えている。



 話を戻すと、今回のゼネコン社員の愚行だけではなく人事部の話も含めて、優越的地位を用いて人を欺いて傷つける行為に対して、組織的対応に真剣に取り組んでほしいと思っている。その優越的地位というのは相手との関係性が前提であるため、単なる上下関係だけではない。様々なタイプの人間がいてそれぞれに考え方もあれば行動パターンも異なる。一方で共通の目標はあり求められるべきルールもある。その「違い」と「協力」をつないで人を適切な方向にコントロールする役割を組織が放棄してはならないと考える。