「社長の呟き」カテゴリーアーカイブ

フレッシャーへのメッセージ

 

今年は雪が多かったので、桜の開花は遅れるのでは?

3月初めごろは、多くの気象予報士からそのような声を聞いたが、やはり例年通りいつもより少し早めに桜の季節が訪れた。

 

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と同時に、オフィス街ではあちこちで黒っぽいスーツをまとった若者たちが目立ってきた。

新入社員すなわちフレッシャーの誕生である。

この時期になると、企業では研修という名の社会人訓練の舞台が繰り広げられ、時代によりいろいろ変化はみられるが、やはり基本は大きくは変わらないようである。

「学生時代とは比べようのない高い壁にぶつかるが、決して乗り越えられない壁ではない」

「多産な20代は無限の可能性を秘めている。若者にとりチャレンジ精神こそ最大の武器」

「友を見つけよう。7人の敵があれば、必ず8人の仲間が見つかる」

「余暇の過ごし方がウィークデー以上に大切。いかにリフレッシュするかで翌週が決まる」

「同じコップ半分の水でも、もう半分しかないと思うか、まだ半分あると思うかで様変わり」

 

かって先輩たちからじかに聞いた「フレッシャーへのメッセージ」のなかで、いまもって心に残っているいくつかの言葉である。

カキクケコこそ成長分野

 

一昨年、ある有力経済誌に「初のビジネスホテル調査、薄れてきた『境界線』」のタイトルで、ビジネスホテルランキングが掲載されたことがある。この目新しい調査で、当社コンサル先のベンチャー企業が他の著名なビジネスホテルをしのぎ堂々トップに躍り出、「本当か?」と一瞬目をこすりながら何度も読み返してみた。

 

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弱冠40歳の京大建築学科卒の雇われ社長は、その後MBOで株式を取得、名実ともに経営の采配を振るうようになった。創業当初から口癖のように「3Bで勝ちぬく」と繰り返し熱く語っていたが、この3BすなわちBath  Bed Breakfastの3文字は今や社内でも合言葉のように浸透、前述の経済誌でも「ビジネスホテルは3Bで勝つ」と小見出しに取り上げられたほどである。

わかりやすいキャッチフレーズで、社内の意識をそろえるのは、業種、企業規模の如何を問わず結構大切なことのように思う。

かって、山口県の中小金融機関経営に意を砕いていた頃のことである。

地域の皆さんからいろんな場で、
「今年の景気は?」「株価はどうなるでしょうか?」「当面の円相場は?」

と聞かれたが、中小企業経営者の方々からは

「これからの成長分野は?」

と質問されることが多かった。

わかりやすくまとめるのにいろいろ苦労したが、京都のとある中小企業経営者から学んだ「カキクケコが鍵」とのキャッチフレーズを思い出し、折に触れその話を披露していた。

カ・・・環境
キ・・・教育
ク・・・食い物
ケ・・・健康
コ・・・高齢者

日本経済がバブル崩壊後の「失われた10数年」にあえぎ、方向感を見失っていた頃のことであるが、今なおこのカキクケコノ成長分野説は健在なようで、ベンチャー経営者から同種の質問があると、この話を繰り返し持ち出すこととしている。

今なお映画館に足を運ぶ

学生時代は暇を見つけては映画館に通い、多いときには日に3本立て興行作品をはしご、充血した疲れ目をこすりながら帰宅することも少なからずあった。

今もなお映画館通いは続いており、週末になると自宅近くのデイズニーランド併設のシネマ・コンプレックス「イクスペアリ」(16館もある)に頻繁に足を運んでいる。

 

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映画の醍醐味は何か?なぜそこまで魅かれるのか?

ひとそれぞれかもしれないが、私は①題名②女優③音楽④ラストシーン、この4要素を挙げたい。

こうなると、レンタルビデオでは物足りず、やはり劇場でゆったりと観たい。

最近のお気に入りは?

独断ではあるが、以下の3作品を挙げたい。

「ソチの地下水道」

「鑑定士と顔のない依頼人」

「永遠の0」

それぞれ好みがあり、異論続出であろうが、シリアス度、ミステリー度、涙腺刺激度ではいずれもなかなかの作品であった。

先日、アカデミー賞の発表があり、「それでも夜は明ける」が作品賞を受賞した。近く日本でも上映されるとのことであり、いまから楽しみにしている。

日本アカデミー賞では、三浦しおん原作の「舟を編む」が作品賞、主演男優賞など多くの賞をさらった。

地味な大辞書編纂に取り組むぎこちない青年を演ずる松田龍平君にも好感は覚えたが、やはりゼロ戦に乗った岡田准一君が今なお網膜に残っている。

 

(大橋光博)

ITベンチャーの先駆け

 

1995年日銀から山口県の小さな地銀に転じて、4~5年経った2000年前後のことである。

当時、世上は「IT革命時代到来」と喧しく、ソニーの出井CEOはある新聞紙上で「6500万年前、メキシコのユカタン半島に落ちた巨大隕石が地球上の恐竜を絶滅させたといわれる。気象などの環境変化に適応できず、哺乳類時代へと移った。インターネットは現代産業社会に落ちた隕石である」と説いていた。

 

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一方で、フランスの行動派哲学者レジス・ドブレ氏は「情報革命はグーテンベルクの印刷術に匹敵する大きな意味を持つ。しかし、情報社会になりグローバル化が進むほど、むしろ世界の断片化が引き起こされ地域主義や小さな民族主義に帰る動きは激しくなる。その意味でも日本は自信を持って外国文化を見直し、言葉を大事にする必要がある。情報革命により、空間は縮むのに一日の時間は変わらない。人間が思索したり記憶を確かめる余裕を失ってしまわないかその点が心配」と哲学者らしい意見を唱えていた。

まだ、我が国のITベンチャー経営者もほんのわずかしかなく、日本マイクロソフト社の成毛真社長が草分け的存在として注目されていた程度で、ソフトバンクの孫正義氏や楽天の三木谷浩氏はまだ表舞台には登場していなかった。

当時、たまたま国営化されていた旧日債銀の実質オーナーであった孫氏と株主であった第二地銀頭取との会合が都内のとある場で持たれたが、これが彼との最初の出会いであった。

彼は当時ITビジネスに強い関心があり、彼の盟友であったSBIグループ北尾代表からは「一兆円ビジネスにするといきまいているが、自分はついていけない」との真情も直接耳にしたことがある。

また、山口県出身の俊英ITベンチャー起業家(経営者というより開発者、当時35歳、東大工学部卒)の藤田君と出会ったのもその頃のことである。

藤田君の「IP3」と称された斬新なシステムソフト(海外のレジャー・サービスをネット上で即時約定・決済する当時としては画期的ソフト)は専門家の間でも有名になりつつあり、文芸春秋誌でも時代を背負うIT若手リーダーとして注目されていた。

ただ、研究者タイプの彼は経営には興味がなく、大学時代の友人(会計士)が社長をやり、また資金面についてもソニーとの間で破格の条件でライセンス契約を締結しサポートを仰ぐなど、自らリスクを取りつつ事業を飛躍的に発展させる気概は乏しかったように思う。

藤田君と友人の社長を、当時恵比寿でバーチャルモールを駆使して新たなITビジネスを模索していた楽天の三木谷浩君(彼の父君が神戸大の金融論学者で、小生が日銀神戸支店勤務時代に教わったことがあるつながりもあり)と同社CTOの両トップに紹介したところ、かなり興味を示したくれたことがある。

この孫氏と藤田君のことを地元山口新聞で「二人のIT革命家との出会い」と題して紹介エッセーを書いたところ、県内はもとより東京、大阪等県外各地からも結構反響があった。

 

(大橋光博)

ホリエモンとの出会い

 

今から8年前、村上ファンドを立ち上げ出資先探しで地銀回りをしていた村上君がボサボサ髪の33歳の若者を連れてきた。

「友人の堀江君です。いま頭取をしておられる西京銀行さんがネット銀行に興味あり、ということなので金融に興味のあるネットベンチャー経営者を紹介します」こう言いながら彼を紹介した。

 

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どちらかというと寡黙な当時33歳の若者は、当時最先端通信端末の携帯電話を10台ほど面前にさらしながら、とうとつと「メガバンクから転職の若者に手伝ってもらいながらネット銀行設立に取り組んでいるんですが・・・」と語りだした。

構想は悪くないので、メガバンクの友人や金融庁の若手に相談すると、「これからは金融とネットの融合時代だ。メガ同士の同様構想(当時メガバンクと大手ネット企業との提携話が進んでいた)がマスコミをにぎわしているが、スピードがなく構想もいまいち。西京さんのプランはなかなか面白い。金融庁の少なくとも若手幹部には地銀の新しいビジネス分野としてぜひ成功させてほしいとの期待もある。小さい2社だけどその分スピードもありそうだ。前向きに取り組んでは?」との意見だった。

1月に出会い、2ヶ月後の3月末にはネット銀行設立へ向けて、西京銀行51%、ライブドア49%出資、両社30人ずつ、インド人30人、計90人で新会社設立へ向けてのプロジェクトチームが発足した。

ライブドアとの共同事業には私自身当初からいくつか気になるところがあり、「準備会社のような箱は作らないでPTで発足、ライブドアと西京間では株の持ち合いはしない、銀行としては融資しない」との条件でスタート、同時に当時最強の弁護士集団である森浜田松本法律事務所と顧問契約、顧問料節減のため地銀としては極めて異例のテレビ会議方式を導入、銀行の東京支店からITに強い若手弁護士にTV参加してもらうこととした。

こうして翌4月には設立へ向けての協議がスタートした。しかしながら、その直後から相手方のライブドアが日本放送株の取得を巡りフジテレビジョンとの係争がはじまり、結果的にはライブドア側が実質勝訴となったが、本件での対応に忙殺され、さらには堀江君自身が自民党にかつがれるかたちで広島選挙区から衆議院選挙に立候補するところとなり、彼の繁忙度はさらに激化、連絡もままならいない状況となっていった。

このところの事情はマスコミでも大きくとりあげられたので、ご存じの方も多いかと思う。

翌年、彼は逮捕のやむなきに至るが、出所後の彼に先日会ったところ、素朴な持ち味はなお失われず、宇宙ロケットビジネスや執筆活動への情熱はなお根強く残っていた。

8年前、彼から「ユーグレナという学名の動物性たんぱく質をもった光合成するミドリ虫を沖縄石垣島で栽培しており、アフリカの貧困層救済にいささかでも役立てばうれしい」との興味深い話を聞き、彼に「君は金儲けの話や本ばかり出しているが、その話を本にしては?」と問いかけたところ、彼からは「僕はシャイなのでそんな話はできない」と一蹴されたことがある。

出所後の彼に会い、この話をしたところ、「覚えている」とのことであった。

現在「ユーグレナ」社は出雲社長の下、上場企業として表舞台で活躍しているが、その陰で堀江君が支えていた一時期があったことを知っている人は少ないかもしれない。

 

(大橋光博)

花はなぜ咲かなかった?

 

「京セラの稲盛さんのもとで経営企画部署にいましたが、独立心が強く、この会社を立ち上げました」

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廃棄同然で捨てられる食材を原料にして、調味料とコックの腕前により高級総菜やフルーツを作り、デパ地下やターミナルモールへ出店、目標を先発の神戸ロック・フィールド社にしていた。

原料仕入れと出店のサポートをはじめることとし、ゆかりのあった下関の水産会社に話を持ちかけ、タダ同然で廃棄処分されていたフグの皮を大量仕入れがまとまった。

同時に、吉祥寺のショッピングモールに出店、新宿と渋谷の大手デパートの地下への出店が奏功、そのベンチャー会社の名前は急速に広まりつつあり、時折ワイフとモール店舗をのぞいたりして目を細めていた。

デパ地下では、お客さんの目前でカロリー計算を即時に行うのも人気の一つとなった。

ただ、内部管理とくにナンバー2の幹部との折り合いが必ずしもうまくないことや、少し軌道に乗り出したところで、茶髪はともかく高級外車に乗り回すようになった。

白銀高輪の高級マンションワンルームを借りてクッキングのモデル店舗も構えたりしたが、これも「やや背伸びが早いのでは?」と気になった。

マネジメントの大切さはベンチャー経営者にとりいうまでもない。

社員への目配り、私生活への配慮も欠かせない。

なかなかアイデアのある経営者であり、期待するところもいくつかあったが、この会社はほどなくマーケットから姿を消し花は咲かなかった。

 

(大橋光博)

あるベンチャー経営者の悩み

 

ある夏の日、二人の若者が流れる汗をハンカチで拭きながら現れた。

「半年前からとあるサービスを友人と始めていますが、担当者止まりでなかなかうまく成約につながりません。どうしたらいいでしょうか?」

「どんなサービスですか?」

「映像の制作と動画配信です。テレビ、パソコン、携帯、スマホ等どこにでも配信します。

若いカメラマンが原則一人で撮影しますので、価格は大手広告会社とは比較にならない安さです」

「安かろう悪かろうじゃないの?」

「そんなことはありません。出来栄えには自信があります」

 

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こんなやり取りをしながら、大手映像製作会社で腕を磨いた制作技術を誇る社長とアメリカの大学で学び敏腕ベンチャー経営者の巣立ちを目に焼き付けてきた営業担当副社長は熱いまなざしで訴えてきた。

「ともかく君たちの会社に出かけて現場を見せてほしい」

かねてより現場主義をモットーにしていたので、代々木の大手学習塾のかたわらにある小さなペンシルビルに単身出向いた。

ワンフロアーの10坪ほどの広間では、20代の3人の若者がカメラをいじったりパソコンをたたいたりしていた。

さっそく、広島県で起業、東京進出して10年経過、年商10億円の学生の就職支援・出版会社社長を紹介、紹介したその場でセミナー収録と映像配信ビジネスが成約、さらに数日後にはぐるなび副社長(旧知のオーナー会長の紹介)との面談が始まり、ほどなく受注にこぎつけた。

無名のベンチャー経営者の悩みは多くの場合このようなケースであり、小生として「なんとかベンチャーに元気になってほしい。いささかでもお手伝いができれば」との思いで、8年前このようなベンチャー支援会社をたちあげた。

 

(大橋光博)