社長ブログ

出来事

スポーツマンだった「弟」

投稿日:2019年3月11日 更新日:

年が明けて間もないころ、愛する弟が73歳でスポーツマン人生の幕を閉じた。
5年前から肺がんを患い、免疫療法や放射線治療等が功を奏し一時復帰して仕事も再開し
ていたが、やはりがん細胞との闘いに勝てず、静かに息を引き取った。3人姉弟だったが
36年前に姉を失い、結局一人になってしまった。
三つ違いの弟は、どちらかというと小柄で、小学校の頃は前から三番目が定席であった。
すこぶる敏捷で、運動会での徒競走は断トツの一番、前の組のしんがり君を抜かしてしま
い、一等賞の旗がもらえず、親たちがクレームに乗り出すという場面もあった。
機械いじりが好きで、まだテレビがない時代にラジオを分解しては組み立てなおすのが得
意だった。
いたずらっ子で敏捷なところが祖父の目に留まり、両親とも相談、「背が伸びるかもしれ
ない」ということで中学生のころからバスケットボール部に入り本格的に部活を始めた。
背丈は伸びなかったが、敏捷さとジャンプ力でめきめき頭角を現し、高校時代はキャプテ
ンとしてインターハイや国体で優勝、海外遠征でもポイントゲッターとして活躍した。
その敏捷さが群を抜き、「バスケ界では最も小さな名選手」とテレビで紹介されたことも
ある。
大学、社会人でも大活躍、熊谷組では現役はもちろんOB選手としても実業団リーグのちび
っこ選手として名をはせた。
友達付き合いを大切にし、高校時代の野球、陸上、バスケの運動好き3人と「三友(遊)
会」を結成、家族ぐるみで旅行したりして長く続いていたが、早逝するものもいたりして
今となっては1人しか残っていない。
また動物好きも「半端なく」、自宅には猫4匹と犬1匹を飼っている。
スポーツ好きはバスケにとどまらず、近くのテニスコートでも仲間ができ、土曜日は必ず
こうした仲間たちとテニスで汗を流していたようで、赤銅色の顔が今となっては懐かしい

大勢でわいわい騒ぐのが大好きで、酒もめっぽう強く、たばこも生涯手放せなかったが、
やはりこれが病の遠因になったのかもしれない。
亡くなった直後、学生時代から彼のバスケファンで長年連れ添っていつも車の運転役(本
人は生涯助手席)をしてた奥さんが「ちょっと早かったわね。タバコが手放せなかったか
らね・・・」とぽつり漏らしたのが心に刺さる。
(追記)
家族関係のことをこのブログに載せるかどうか?かなり迷い、周囲には反対意見もあった
が、しばらく時間もたち何らかの形で記録にとどめておくのも大切かと思い、このように
書き遺した。

-出来事

執筆者:


comment

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

関連記事

太極拳の昇殿試験

太極拳の歴史は古く、中国の明代末から清代にかけて、武術の流儀の一つとして始まった ようである。その後毛沢東が国民全体に健康増進の一環として広めたとされている。 日本に普及したのは1970年代で、日本に …

初のシンガポール旅行

年末の休みを利用して、初めて近代国家に変貌したシンガポールに足を踏み入れた。 世界最大級の国際空港を降り立つと、ほどなく近代都市のビル群が目に飛び込んできた。 アジアの金融メッカは今も勢いを失わず、1 …

大文字の送り火

青春時代を過ごした京都の地では、毎年8月16日は「大文字の送り火」と呼ばれる盛大な祭礼が厳かに行われ、全国から多くの観光客が訪れる。 この京の地では、「葵祭」「祇園祭」「時代祭」と並んで京都の四大行事 …

はとバスツアー

先日、「はとバスツアー」で国会議事堂とスカイツリーの半日旅を楽しんだ。 はじめての「はとバス」であったが,車高が高く都内中心街を見下ろす眺望がいい。中には二階建てオープンバスの「オー・ソラ・ミオ」とい …

記録的寒波襲来と釧路の思い出

今年の冬は寒く、1月下旬に入り都心では最低気温が1970年1月以来48年ぶりの零下4度を記録した。 日陰になるとところどころ雪が残り、凍結した路面をおそるおそる歩きながら会社に向かうサラリーマンの姿が …