社長ブログ

岡田准一とキムタク

このところ、ジャニーズ系の歌手たちが映画俳優として大活躍している。

その筆頭格を独断と偏見で選ぶと、岡田准一とキムタクである。

「いや東山紀之だ」「本木雅弘だ」と異論もあろう。

岡田准一はV6の仲間では最若手であったが、このところは映画俳優としての活躍が目立ち
、主演男優賞(日本アカデミー)の受賞歴もある。

これまでに観た作品を好きな順に並べると、
「追憶」
「永遠の0」
「海賊と呼ばれた男」
「関ケ原」
「蜩ノ記」
となる。

もう一人が、このところ解散騒動で揺れたスマップの中心人物キムタクである。

好きな作家のひとりである藤沢周平作品での活躍が瞼に今なお残っており、愛妻の復讐に
燃えた「武士の一分」での盲目の剣士ぶりは忘れられない。

彼が近作「検察側の罪人」で好演しているとの評を耳にして、早速近隣の映画館に足を運
んだ。

同じジャニーズ事務所の「嵐の二宮君との絡みが素晴らしい」との評判通り、敏腕検事最
上のキムタク,若手検事沖野の二宮とも難しい役どころを見事にこなしなかなかの好演で
あった。

早速、上下二巻に分かれた雫井脩介の原作も読んだが、検察小説として新しい分野に挑戦
、しかも最近取りざたされる「冤罪」や「取り調べの可視化」「DNA鑑定」などにも着目
した力作でぐいぐいと読者を引きずり込んでいく.(ストーリーはマル秘)。

猛暑の夏が終わり、映画の秋、読書の秋、そして音楽、スポーツの秋が到来。それぞれの
余暇が始まろうとしている。





北海道南西部地震に思う

平成が終わろうとしているが、始まって間もないころ(今から30年前)、二年半ほど釧路
に赴任していたことがある。

たくさんの思い出があり、北海道は懐かしい土地である。

温泉が多く地震災害は少なくない地域(1993年釧路沖、1994年釧路、2003年十勝沖)な
がら、在任中は幸い見舞われなかった。

ただ、離任間もない平成5年(1993年)、奥尻島で地震による大津波が発生、多くの犠牲
者が出た(死者・行方不明者230人で道内では最多)。

早速縁故者を募ってお見舞いにはせ参じ、鎮魂の祈りをささげた。

この度の千歳空港にほど近い道内南西部の厚真町の地震は勇払(ゆうふつ)平野が広がる
のどかな田園地帯である。

専門家の解説では「火山灰が黒土層の上に数万年かけて1~2メートルの厚さに積もった
ところが強い揺れで火山灰が斜面上部から一気に崩れ落ちたためで、熊本地震に似ている
」とのことで、山裾の民家が被害にあわれたようで、崩落でむき出しになった褐色の山肌
があちこちに隆起して痛々しい。

道内最大の震度7という激震で道内全域の停電・断水や空の大動脈である千歳空港閉鎖な
どインフラ面の被害も大きかった。

自衛隊による救助活動が懸命に続けられているが、今なお多くの避難生活者がおられ、早
急な復旧を祈るばかりである。

人口密集地域や津波沿岸地域では、関東大震災の105千人、東日本大震災の24千人、阪神
淡路大震災6千人と多くの犠牲者が出たが、今回はこれほどの人的被害がなかったところ
が不幸中の幸いではある(9月7日現在死者19人、安否不明者22人)。

1960年に起こった世界最大規模(マグニチュード9,5)のチリ地震では人命被害は62人
にとどまったが、2004年のスマトラ沖地震(マグニチュード9,1)では津波被害がひど
くリゾート客も巻き込んで220千人もの死者・不明者が出ており、自然と向き合う人間の
生きざまにもいいろいろ考えさせられるところが少なくないように思う。





今年の夏はなぜ暑い?

今年は梅雨明けが早く、7月下中には猛暑に見舞われ、埼玉県熊谷市では7月23日なんと
歴代最高の41,1度を記録したという。

9月上旬ころまで全国的に例年より高温が続き、秋の気温も平年を上回るとの見通しである。

心なしかアブラゼミの寿命も短く、早朝散歩ではお腹を上向けにしたあえない姿を見かけ
ることが多いように思う。

果たして、ヒグラシやツクツクボウシの声がいつものように「カナカナ」とした済んだ響き
を伝えてくれるだろうか?

草むらからはコオロギの甲高い音色が聴こえるだろうか?

赤とんぼが飛び交い、ススキの穂がたなびく秋は訪れるのだろうか?

そんな心配までしてしまう今年の残暑である。

ところで、この夏がなぜこんなに暑いか?

専門家の間では、「チベット高気圧と太平洋高気圧のダブル高気圧説」が多く、
さらには「偏西風が例年より北寄りのため」との解説がなされている。

少し長いスパンでとらえると、1980年代後半から地球全体の温暖化が進んでおり、
その一つは「温室効果ガス」によるものであり、今一つは「自然変動(数年~数十年スパン)」
によるもので、特に北半球のほうが気温上昇が大きく、北半球中緯度に位置する日本はその影響
を受けやすい、とされている。

台風の多さも、やはりこうした気象条件との深い関連があるようだ。

ともかく、こうした自然現象には不可抗力もあり特効薬はなかなか見当たらないが、
それぞれができる範囲で「平素からの有事への備え」や「環境への気配り」を忘れないことであろう。

秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ 驚かれぬる

こんな秋が待ち遠しい。





映画通での超話題作「カメラを止めるな」を観る

今、映画ファンの間で話題沸騰のゾンビ映画「カメラを止めるな」を近場の映画館で見た。

都心の映画館では超満員続出とあって、行きつけのデイズニーイクスペアリのシネコンで
何とか潜り込めた。

制作費はわずか3百万円、俳優はすべてオーデイションで選ばれた無名役者、上映97分間
ワンシーン、ワンカットという異例づくめの作品である。

映画専門学校WNBUゼミナールのシネマプロジェクト第7弾で、上田信一郎監督・脚本の
意欲作。

ストーリーは、山奥の廃墟でゾンビ映画撮影中に本物のゾンビが襲来、デイレクターの日
暮は大喜びで撮影を続行、撮影隊のメンバーが次々とゾンビ化して行き、ラストシーンで
はファーストシーンでの問題点をたくみにクリヤーしていく。

この間、関西弁のオバハンが制作メンバーの重鎮役を演じ、随所でお笑いも誘う。映画愛
の中に、さりげない家族愛も漂わせ、ひとことで締めくくると「後味のいい快作」といえ
よう。

これまではゾンビ物はあまり好きではなく、目をつむっているうちに眠りこんでしまうこ
とが多かったが、この作品だけは最後までクスクスしながら観終えた。

当初、わずか2館での上映予定であったが、一気に人気を博し瞬く間に100館に広がり、い
まや都心のあちこちで鑑賞できるが、満杯のことが多いので早めに指定席を確保されるよ
うお勧めする。





「劉邦」を読む

かつて毎日新聞でちょっと読んだことのある宮城谷昌光著の「劉邦」が、このほど大活字
の文庫本として再出版された。

かなりの長編物であるが、夏の暑さを吹き飛ばすには手ごろな物語とあって、4部作の長
編物を買い込んで読み直した。

この手の本では、まずバイブルとされるのは江戸期の読本「漢楚軍団」であるが、歴史本
愛好家の間で有名なのは司馬遼の「項羽と劉邦」である。

何れも、秦の始皇帝の暴政滅亡後の覇権争いを描いたもので、不世出の武人で知略に優れ
峻烈極める戦いで幾多の武功を挙げるが、その厳しさがゆえに31歳の若さで自害に追い込
まれていった項羽と農民上がりだが部下に恵まれ最後は漢帝国の高祖にまで上り詰める劉
邦の長い戦いをテーマとしている。

さしずめ、日本の戦国期にあてはめるとすれば、信長タイプの項羽と家康タイプの劉邦と
いったところか。

ただ、司馬遼もそうであるが、どちらかというと知略に優れながらも悲運の最期を遂げる
項羽ファンが多く、おっとり型でさほどの戦上手でもない劉邦にはさほどの魅力を感じな
いとする向きが少なくない。

彼の取り巻きには以下のような難解な名前の優れた補佐陣が輩出、要所要所で彼を助け、
何度も窮地を逃げ延びて、何とか皇帝の座まで上り詰める。

本人も、「百戦百敗」と再三にわたり弱音を吐くほど「戦下手」であるが、その温容な人
柄と気前の良さ、酒好きで女好きの飾らぬキャラクターが配下をひきつけ、軍団の勢力は
時間の経過とともに拡大していく。
呂雉(リョチ、正妻)
擁歯(ヨウシ)
張良(チョウリョウ)
樊噲(ハンカイ)
夏候嬰(カコウエイ)
肅何(ショウカ)
韓信(カンシン)
周勃(シュウボツ)
これらに逸材を覇権確立後、要所要所に重用し政権基盤を盤石にしていったのは言うまで
もない。

もちろん時代も舞台も異なるが、国のリーダー像を考える上でも示唆するところの少なく
ない大切な読本と言えよう。





落語のある小料理屋での同窓会

時々集まる同窓会仲間から「秋葉原にちょっと面白い小料理屋があるから、そこで暑気払
いをしないか?」との誘いがあった。

早速10数人が集って足を運んだところ、そこは「やきもち」という一風変わった名前のお
店だった。

割烹着の似合う美人女将(東大卒)が人気番組「笑点」の元デイレクターで、現在の司会
役春風亭昇太師匠のすすめでオープンしたらしい。彼から「昔、わが一統の代表格春風亭
柳橋師匠が吉田茂首相のお座敷に呼ばれ落語を披露したことがある」というエピソードを
聞き、「それじゃ私もちょっとした落語の聞ける小料理屋を始めよう」ということで思い
ついたようだ。

玄関の幟は昇太師匠、暖簾は先日亡くなった歌丸師匠のサイン入りの贈り物で飾られ、い
かにも「笑点」との縁を感じさせられる。

毎週火曜日の夕方には、この座敷で若手落語家たちの小話が聞けるとのことである。「や
きもち」という店名は、落語の演目「吝気の独楽」からの由来である。

「主人、妻、妾の3つの独楽があり、独楽回しが主人の独楽を回したところ、この主人独
楽は何度回してもお妾さんのほうに向かっていく、これをみた妻が丁稚にカンシャク玉を
破裂させたところ丁稚の答えが振るってる。

「おかみさん,この独楽は芯棒(辛抱)が狂ってますね」ときた。

こんなオチが気に入って命名したらしい。そういえば店のあちこちに独楽の絵が飾られて
いた。

おいしいお酒と手の込んだ料理に舌鼓を打ちながら、ふとカウンターの方に目をやるとど
こか尾藤イサオに似た客がいた。「ちょっと若そうだから人違いかな?」と思っていたが
、気配りのきく我々の女性仲間(野次馬仲間?)が帰り際に「がやがやとお騒がせしてす
いません」とお詫び(確認)に行ったところ、「ご本人だったわよ」との報が入った。

連日の猛暑の中、ちょっとした「いい同窓会」だった。





スポーツコメデイ映画「バトル オブ ザ セクシーズ」を観る

折からの台風の影響で隅田川の花火大会は順延になり、地元の新浦安花火大会は中止とな
ったとある週末、風雨の中を都心の映画館まで足を運び、映画通の間では話題のオスカー
女優エマストーン主演のスポーツコメデイ映画「Battle of the Sexes」(ドキュメンタリ
ー)を観た。

何しろあの「ラ・ラ・ランド」でアカデミー主演女優賞を受賞したばかりのまさしく旬の
エマストーンがテニス界の女王キング役を演ずるとあって、大荒れの天気の中をかなりの
観客が足を運んでいた。

1960年代、世界の女子テニス界に君臨した「キング夫人」については、ご存知の方も少な
くないのでは?

このテニス界の女王は、賞金額が当時男子の8分の1という法外な格差に異議を唱え、「世
界テニス協会」から脱退して仲間と「女子テニス協会」を設立、さらに元世界チャンピオ
ンのボビー・グ-ス(史上初の年間グランドスラム達成)に史上初の「男女対抗戦」をけ
しかけ、嫌がる相手を説き伏せ直接対決にまでこぎつけるという実話である。

1973年に行われたこの試合は世界中の話題になり、衛星TV中継での視聴率は前代未聞の
高さでその後の女性の地位向上に多大の影響を与えたといわれている。

勝敗の結果は、映画を観ていないファンへのマナーも考え、マル秘とさせていただく。

私生活でのキング夫人はなかなか思いやりのあるイケメン男性と結婚するが、一方で優し
い美容師とのレスビアンの関係が断ち切れず、結局は離婚する。ただ、元夫への思いやり
は長く続き、再婚相手と間にできた子供のゴッドマザー(名付け親)になる。

29歳と55歳の元トッププレイヤー同士の実戦でのラリーの応酬は、スピードはともかく往
年のテクニックを随所に見せなかなか見ごたえがあり、中高年のテニスファンにもおすす
めである。





かき氷

猛暑続きのため、今回はひんやりとする「かき氷」でしばし。

東京駅近くのビル街地下においしいかき氷屋があった。

しばらくぶりに足を運んだところ閉店していた。

わかりにくい場所にあり客も少なかったので心配していたが、この猛暑が始まる前にあえなくダウンしていたのは惜しまれる。

店づくりは上品ではあったが、地味で目につきにくく、PR不足は否めなかった。優秀な学者が優れた仲間たちと立ち上げたベンチャー企業が、マーケッテイング不足からビジネスが軌道に乗らず惜しまれつつ消えていったケースがいくつかあるが、どこか似ているよう思う。

「かき氷」の語源は東京方言の「ぶっかきごおり」に由来、削り取った氷に水飴やコンデンスミルク、シロップなどがかけられるが、好みにより宇治抹茶やイチゴ水、レモン水などが用いられることも多い。

関西では甲子園名物の「かちわり」があるが、これは氷を砕いただけでシロップ類は使われない。

ちょっとしゃれて「フラッペ」(仏語)という言い方もされるが、厳密にはクラッシュドアイスにリキュール(酒類)が混ざったのが「フラッペ」のようである。

日本版「かき氷」の歴史は古く、平安時代清少納言の「枕草子」の「あてなるもの」(上品なもの)の段に「削り氷にあまづら(甘葛)を入れて新しきかなまり(金椀)に入れたる・・・」のくだりがあるが、すでにこのころから高貴なみやびとはこの絶妙な味を嗜んでいたとみられる。

聞きかじりの「かき氷」由来を紹介したところで、最後に著名な俳人である辻桃子編の俳句歳時記から「かき氷」にちなんだ句をふたつ。

潮風や ブリキの匙の かき氷  (岡とも子)

宇治金時 みどりの水と なりにけり  (辻桃子)





「安全か?」「安心か?」そして「快適か?」

金融界に長く身を置いていたが、ある日突然「民営化された高速道路会社の経営をやってほしい」との全く場違いな話が見込んできたのはいまから5~6年前のことである。

「どうしてですか?」と尋ねたところ、「民営化されて10年近く経つが、まだ建設官僚の天下りが続いており、なかなか改革が進まない。

民間金融機関経営での抜本改革が目に留まり、民間経済界から貴兄を推薦したいとの意見が有力者から出てきた。同じスタンスで向こう傷を恐れず、前例踏襲を打破し大胆に改革に取り組んでもらいたい」。時の所掌大臣や経済界重鎮からの直接の言葉であった。

「ともかく寝耳に水の話ゆえ、一週間ほど考えさせてほしい」と返答、家族とも相談の上、「少しでもお役に立てば」ということで、阪神高速道路会社の会長兼社長職を受諾することにした。

ただ、これまで細々と取り組んできたベンチャー企業育成ビジネスは手放すわけにはいかず、「非常勤会長職は継続」を条件にした。

民営化へ向けての取り組みはかなり課題が多く、時間はかかるが、ともかくやれるものからやろう、ということで、「内部の意識改革」と「効率化経営」は最優先で取り組むことした。

グループ含め3000人近い職員には、就任直後のトップ会見(含むビデオメッセージ)で、「いい情報は後でいい。悪い情報ほどトップまで早く上げてほしい。責任はすべて私がとる」。会場は一瞬静まり返った。

もう一点、気になったのが高速道路会社共通のモットーである「安全」「安心」「快適」である。

確かに、この3点はうなずけるが、問題はその順序である。

しかも「快適」と「安全」はある意味二律背反のテーマである。

これまで、果たして「快適」を優先し、「安全」への気配りが足りなかったことはなかったか?

着任間もないころ、とある重要会議の場で保全部長(現有力子会社社長)から「首都高で昨夜2時ころトンネル寧の天井が崩落したが、幸い深夜ということもあり人身事故はありませんでした」との報告があった。

ただちに社長室に部長を呼び「詳細報告を。そして、当社のすべてのトンネルと結果報告を」と命じた。

その1年後、NEXCO西日本での笹子トンネルでの崩落事故が起こり、犠牲者が出た。

国交省の事故後の全社調査では、阪神高速の不備は2件(離任後開通したトンネルと神戸トンネルから譲り受けた案件)、とのことであった。

今回の広島、岡山の大災害には、「道路網の整備や山林部の開発優先で、地質や地盤の調査に怠りはなかったか?」「豪雨に備えたダム建設はどうであったか?」「保水林としての山林伐採に行き過ぎはなかったか?」

地球温暖化による自然環境の変化も合わせ考えると、いくつか学ぶべき教訓があるように思う





七夕の西日本集中豪雨に思う

七夕の雨は牛車から飛び散るしぶきとされ、「洗車雨」とも呼ばれる。

牽牛が織姫との逢瀬に備えて牛車を洗車したとのたとえらしい。

今年の七夕の雨は、こんなロマンとは程遠く、とてつもない豪雨が西日本中心に襲った。

数多の死者が出て、いまなお安否不明の人たちが少なからずある。

ゆかりのあった広島や山口さらには京都、福知山と被害地域は広く、友人、知人から相次いで無事を知らせるメールが届き一安心した。

ただ、水害の後遺症は根深く、浸水した家屋や道路の復旧はもちろん、長く避難生活を強いられる場合が少なくなく、被災者の皆さんのご苦労のほどが痛く胸にしみる。

同じ七夕の夜、住んでいる千葉は地震に見舞われた。幸い周辺も含め被害はほとんどなかったが、揺れが続いたさなかはマンション内の緊急速報が流れ、緊迫感が漂った。

このところ、この列島は相次いでさまざまな自然災害に見舞われるが、同じ七夕の日はオウムの首謀者たちの処刑がなされたこともあり、一部に「彼らの怨念が引き起こしたのでは?」との恐ろしい声もあったが、何の因果関係もないことを祈るばかりである。

住んでいるマンションの広場では、恒例の七夕祭りが催され、子供たちの色とりどりの短冊が2メートルほどの小さな竹に群がるようにぶら下がっていた。

その中の気に入った一句。

くちげんかに強くなりますように

いつも口達者な姉にやり込められて悔しがる弟の姿が浮かんで思わず頬が緩んだ。





200回を迎える「京都葵の会」

先日、長年の友人である小林勝輔君から久しぶりに電話がかかってきた。

用件は「このほど例の京都葵の会が200回を迎えるということで、記念誌を出すことになった。

いろんな方に寄稿していただいており、ぜひ貴兄にもお願いしたい」という話であった。

彼は、この会合の発起人代表で、いまも顧問格でサポートしているという。

小生も、スタートして間もない頃にちょっとした内輪話をしたことがあり、その後も何回か会合に参加していたので、快く引き受け「京都葵の会とベンチャー経営者の育成」といったテーマで以下のような駄文をまとめた。

今から30年ほど前、当時日銀の課長職で大阪支店に勤めていた頃のことである。

1年後輩の三井銀行勤務の小林勝輔君から「京都市内の小さなホテルで京大40年代卒の会という名前でささやかな集いをしているが、何か話してくれないか?」と頼まれ、バブル崩壊後の激動する金融界について、現場での実体験を中心に生の姿について気さくに話したことがある。

その後、発起人代表の小林君と敏腕幹事の野崎治子さん(堀場製作所勤務)の名コンビが、持ち前の3つのワーク(ネットワーク、フットワーク、チームワーク)をフルに活かして、この会合は大きく羽ばたき、会員数も200人近くになり、このほど200回の記念誌を出されるようになったのはまさしく「継続は力なり」の手本であり素晴らしいことである。

ともかく講師陣がいろんな分野の「ひとかどの人物」で、俳優の辰巳琢郎、元特捜検事の堀田力、前原衆議院議員、中西輝政教授等々錚々たる顔ぶれで、参加者の輪が大きく広がっていったのもうなずける。

ただ、小生は日銀勤務を終えた後山口県に居を移したこともあり、この集まりへの参加が遠のき、時折小林君から消息を聴く程度の付き合いとなってしまった。

山口の地銀経営卒業後は、かねてからのライフワークである「ベンチャー経営者の育成」に注力、今のMRI社を立ち上げ早くも13年目を迎えようとしている。

親子ほども年の離れた経営者が多く、何かと未熟さも目立つが、一方でこちらが教わるところも少なくなく、「生涯一書生」を胸に刻みながら老骨に鞭打っている。





W杯サッカーロシア大会雑感

かつてのプロ野球に代わって、サッカー人気がすごい。

なぜだろうか?

巨人、大鵬、卵焼の時代、プロ野球は9連覇のジャイアンツファンで列島は沸き返っていた。

スーパースター長嶋の登場とその背中を追いかけたワンちゃんの一本足打法が今となっては懐かしい。

その二人のスーパースターも80歳前後になり、プロ野球人気も衰え、ジャイアンツファンも影が薄くなった感は否めない。

つれて、Jリーグ人気とともに若者の心をわしづかみしてきたのが、サッカーである。

高校時代、京都の山城高校で過ごし、2年後輩にサッカー界の雄釜本がいた。

二村とのコンビで、高校サッカー界ではインターハイや国体での優勝常連校として名を連ねていたので、サッカーとの触れ合いはかなり古いが、まだ今のような国民的人気はなかった。

世界的には、欧州や南米、アフリカなど多くの国々で早くから国民的人気を博しており、2年ほど前にポルトガルを旅した際には、サッカー界のスーパースターロナウドが若者の間では英雄視されており、首都リスボンの中心街には彼の経営する金ぴかの豪華ホテルがそびえ建っていた。

目下、ロシアではW杯サッカーでにぎわっているが、日本も予選リーグでは「首の皮一枚」でかろうじて決勝進出、優勝候補のベルギーとの対戦を目前に控えており、多くのサポーターたちが現地入りしているという。

取引先の若手ベンチャー経営者の中にも、熱烈サポーターがおり、ロシアからスカイプ会議で我々と情報交換してくるほどで、情報化社会のすごさを実感している。

メインスタジアムが地球の裏側とあって、LIVE放映の時間は日本時間では真夜中のことが多く、通勤列車の中では若者の眠りこけた姿に出くわすことが少なくない。

ただ、前回の覇者ドイツがすでに予選敗退するなど、勝敗はどう転ぶかわからないところもあり、それだけにこのところのファンの盛り上がりようは「半端ない」状態のようである。





山本周五郎の「ながい坂」を読む

山本周五郎は司馬遼太郎、藤沢周平と並んで大好きな作家である。

この三人の作品は、かつてむさぼるように読みふけり、書斎にも今もなお多くの作品が並んでいる。

この難しい時代に最も読んで教わるところの多いのが司馬遼であろうが、肩の凝らないところで気軽に読めるのが、周平と周五郎の東北生まれの二人の作品である。

周平は数年前から書棚から引っ張り出し、懐かしく思い出しながら次々と読み干し、このところはまっているのが周五郎である。

「青べか物語」

「さぶ」

「あんちゃん」

「赤ひげ診療譚」

「寝ぼけ署長」

「日日平安」

「日本婦道記」

「人情武士道」

これでは、周五郎も気軽すぎる。

そこで最近読み返しているのが、長編物である。

彼の本格的長編小説には、「樅の木は残った」と並んで「ながい坂」という作品がある。

仙台藩の重臣原田甲斐を題材にした「樅の木は残った」は有名で、かつてむさぼるように読んだ記憶があるが、それほどの人気作品にはならなかった「ながい坂」を今回新しい目で読み返してみた。

下級武士の子に生まれた小三郎は8歳の時に経験した屈辱的事件に憤り、人間として目覚め学問と武道に大いに励む。

彼の生きざまは若き主君飛騨守昌治の目に留まり、その後三浦主水正として苦しみ悩みながらも長い坂を一歩一歩踏みしめ、最後には城代家老としての要職を任される。

私生活でも,気位の高い「つる」という正妻とは当初必ずしもしっくりせず、互いに心をかよわす「ななえ」とのあいだに2人の子供を授かるが、運命のいたずらに翻弄され悲しい別れが待ち受ける。

その後、「つる」とは身も心も打ち解けるようになるが、子供を作ることはなく、孤独で厳しい人生を歩む。

全編に哀感の漂うこの作品は、ある徳川家康研究家によると「思いに荷物を背負って長い道を行くがごとき主水正の生きざまは家康を彷彿とさせ、同時に周五郎自身の目標とする人生行路のようにも読み取れる」との評があり、うなずけるところも少なくない。





ヤマモモの季節

この季節になると、待望のヤマモモの実に出会うことが多い。

生り年と生らない年があるが、今年はどうやら生り年らしく、いろんなところで見かける。

かつて幼少期を過ごした鳥取の田舎家の庭にヤマモモの大木があり、近所のガキ大将たちと木登りを競いながら、口の中が真っ赤になるほど食べた懐かしい思い出がある。

4~5年前、故郷の墓参に帰郷した際に、懐かしい我が家(今は地域の遊園地となっている)に立ち寄ったところ、あのヤマモモの大木は切り株だけを残し、まったく姿を消しており、幼時がよみがえり、しばらくその場に立ちすくんでいたことがある。

その時は、大好きなフォークシンガー山崎ハコのヒット曲「望郷」の「ふるさとあの我が家は、今はもうない・・・」という寂しい歌詞がよみがえり、涙がこぼれるのを抑えられなかった。

この時期には、スイカやブドウ、イチジク、ビワなどが所狭しとスーパーの果物コーナーをにぎわしているが、ヤマモモはマーケットに出回らないので、「幻の果実」とも呼ばれる。

ブドウ糖、クエン酸、カリウムなどが含まれ、疲労回復やエネルギー補給に効果的といわれ、アレルギー体質の人にも効能があるとされている。

近くの大学のキャンパスにあるのは、学生が見向きもしないので、鈴なりに生ったままだが、街路樹や公園の樹木はさすがに手の届くところの実はなくなっている。

毎朝出会うラジオ体操仲間にヤマモモの実の話をしたところ、今なお白髪の紳士として衰えを感じさせない芦屋育ちの90歳の人生の先達からは「いっぱい落ちてますね」「食べられるんですか?」と尋ねられ、また同じ体操仲間の栃木生まれの60歳とはとても思えない若々しい女性仲間からは「どんな味ですか?」「苦いんじゃあないですか?」と聞かれ、「甘酸っぱくてとてもおいしいです。赤よりもむしろ紫色のがいいですよ」といっぱしの通ぶって解説したりしている。





「家族はつらいよ」シリーズ

山田洋次監督、渥美清主演の「男はつらいよ」シリーズにはまった頃がある。

葛飾柴又の団子屋を舞台に、主役の「フーテンの寅さん」はたった一人の妹さくら(倍賞千恵子)とおじさん、おばさん、甥坊主そして寺の住職(笠智衆)たちとワイワイガヤガヤ騒がしく過ごしているが、ちょっとしたことでもめてむくれたまま黙ってふらりと旅に出かける。

寅さんはテキヤ稼業の旅先で、毎回のように美しいマドンナに惚れるが、最後は振られて、失意のまま突然故郷の柴又に舞い戻ってくる。

この人情喜劇は多くの映画ファンを魅了、1969年(昭和44年)から1995年(平成7年)まで48作を数え、観客動員数は何と8千万人に及び、配給収入も500億円になんなんとしたという。

この山田洋次監督が目下メガホンを取り、えも言えぬユーモア喜劇でふつふつと人気を博しているのが、「家族はつらいよ」シリーズである。

すでに3作が上映されているが、いずれも映画館に足を運んだ。

2016年3月上映の一作目は平田家の熟年夫婦である、周三(橋爪功)とその妻富子(吉行和子)の離婚届をめぐる騒動で、危機一髪まで行ったが、何とか瀬戸際で元の鞘に収まる。

続いて昨年5月に上映された第二作は、高齢者にもかかわらず車の運転が好きな周三の免許返上をめぐるドタバタ喜劇である。

車にすり傷の絶えない彼は周囲の包囲網にあい、むしゃくしゃして通いつけの美人ママ(風吹じゅん)の一杯飲み屋でやけ酒をのんでいると、旧友の丸太(小林稔持)にばったり出会い、意気投合してへべれけになった丸太を我が家(平田家)へ泊めさせる。

見知らぬ人が泊まり仰天、ドタバタするがその場は何とか収まる。

その後長男の幸之助(西村雅彦)は母親や長女、次男ファミリーを一堂に呼び集めて緊急家族会議を開き、何とか親父の免許返上にこぎつける。

現在上映中の第三作「妻よ薔薇のように、家族はつらいよ」は長男の妻史枝(夏川結衣)が家出する話である。

専業主婦の史枝は親子3所帯6人家族の炊事、洗濯、掃除等家事に追われる毎日であるが、皆を会社や学校に送り出してほっとして二階で居眠りしているさなか、コソ泥に入られ、冷蔵庫にしまっていたへそくりを盗まれ、夫幸之助と大げんか、夫には何も告げずに家出してしまう。

家事を切り盛りする大黒柱を失った平田家は大慌て、緊急会議を開くが消息はなかなかわからない。

幸い幸之助の弟庄太(妻夫木聡)とその妻(蒼井優)が平素から実兄よりもその妻の味方であり、紆余曲折の末一時はどうなるかとやきもきさせられた家出・離婚騒動にも解決の糸口が見えてくる。

何れも、「熟年離婚」「高齢者免許返上」そして「コソ泥とへそくりと家出」といった日常生活に潜むちょっとしたトラブルをセリフも含めユーモアたっぷりに描いており、ともかく気軽に笑える作品である。

観客も、かっての「男はつらいよ」シリーズに足しげく通ったと思われる人が多かった。





谷津バラ園

千葉県には有名な京成バラ園があり、数年前足を運んだことがある。

盛りを過ぎていたため、花はいまいちであったが、ガイドさんの丁寧な説明で多くのことを学び、広い敷地では小学生のミニコンサートにも出くわすなどして、楽しいひと時を過ごした。

この京成バラ園に比べると少し小ぶりであるが、やはり同じ県内に谷津バラ園があり、今年はタイミングを失さないように事前に情報を集め前回よりは早めに出かけた。

習志野都市公園に隣接した12千㎡の敷地に800種類、7500本の薔薇(ちなみに京成バラ園は30千㎡、1600種、1万本)がまさしく今を盛りと咲き乱れており、週末もあってか多くの人が所狭しと集い、カメラやスマホ、Ipadなどに色とりどりのバラを撮り収めていた。

昭和32年、当時としては東洋最大のバラ園として谷津遊園地の一施設としてオープンしたが、その後京葉道路開通により移転、昭和57年には谷津遊園の閉園に伴いバラ園も閉鎖、今の習志野市の都市公園として再開したのは昭和63年のとのことである。

バラはともかく品種が多く、立て看板も半端じゃない。

日本の皇室、世界の王室コーナーでは、イギリスやフランスはもちろんデンマークの王室コーナーなどもあり、それぞれなじみのある皇族、王族名を冠したバラが競うように咲き誇っていた。

都市公園の一角には「読売巨人軍発祥の地」の石碑があり、もう一つの顔となっている。昭和9年4月正力松太郎氏がベーブルースやルーゲーリックといったメジャー球界きっての一流選手を招請、日本側は東京六大学野球の名選手中心で全日本チームを編成し、メジャーの指導を直に受けたという。

これを母体として日本初のプロ野球チーム東京巨人軍(のちの読売巨人軍)がこの谷津の地で誕生したとのことであるが、このエピソードはあまり知られておらず、小ぶりな石碑もバラ園脇にひっそりとたたずんでいた。





西郷どんの人気

歴史小説、時代小説、とくに剣豪物やドキドキ物にめっぽう強い友人がいる。

池波正太郎の「鬼平犯科帳」や藤田まことの「必殺シリーズ」に傾倒、テレビドラマも含めて、かなり詳しくいろいろ教わることが多い。

NHKで長く放映されている大河ドラマにも詳しく、最近の「真田丸」や「おんな城主直虎」のストーリーも詳細にわたり解説してくれ、いい加減に画面を追っている者としては、とても参考になる。

大河ドラマの歴史はかなり古く、「花の生涯」が皮切りで先代尾上松緑が井伊直弼を演じたのが何と昭和38年だというから、大学に入りたての頃である。

印象に残っているのが、「太閤記」でさっそうとデビューした在りし日の緒形拳そして「義経」の先代尾上菊之助のえもいえぬ美しさ、「黄金の日々」の先代染五郎のたくましさなどが今も目に浮かぶ。

最近は大河人気にも陰りが見え、視聴率もパッとしないようだ。

現在放映中の「西郷どん」について、「さいごうどん」と発言したところ、早速大河ファンの冒頭の友人から「せごどん」と指摘され、それもあってこのところ日曜日夕方になるとこの番組にむかうことが結構多くなってきた。見始めるとなかなかのもので、特に最近の奄美大島での「流人シリーズ」は主役の鈴木亮平君の熱演ぶりや二階堂ふみちゃんのいじらしい島娘ぶりにも知らぬ間にひき込まれたりしている。

テレビの視聴率も、地上波ではパッとしないが、BSでは早くも5%を超え「真田丸」のころを大幅に上回っている。その原因は、BSが地上波より2時間早く放映されしかもこの時間帯は裏番組にニュースが多いこと幸いしているとのことである。





はとバスツアー

先日、「はとバスツアー」で国会議事堂とスカイツリーの半日旅を楽しんだ。

はじめての「はとバス」であったが,車高が高く都内中心街を見下ろす眺望がいい。中には二階建てオープンバスの「オー・ソラ・ミオ」というのもあるようだ。

議事堂もスカイツリーも初めてとあって、ガイドさんや現地案内の人から結構いろんなことを教わった。


国会議事堂

訪れたのがGW最後の週末とあって、議事堂の中はガランとしており、会期中であったが議員さんたちに出会うこともなく、赤じゅうたんを踏みしめながらユーモアたっぷりの説明を聞いた。

パンフレット「国会…衆議院へようこそ」によると、議事堂の総敷地は10万平米、高さは中央塔部分で65メートル、現在の議事堂の完成はあの二・二六事件のあった昭和11年、建築費は当時の金額で2570万円(現在の金額換算690億円)とのことである。

メインの本会議が開かれる議場は、中央の高い椅子席が議長席、その左隣に事務総長席、一段下がって総理大臣席という配置で、これを見下ろす位置に天皇陛下や国賓の席が設けられていた。

館内の庭園には47都道府県の樹木が植えられており、議事堂施設内の自販機で買った80円の缶ジュースでのどを潤したあと、はとバスへと戻った。


東京スカイツリー

次に向かったのが墨田区押上の東京スカツリーで6年前に完成したが初めて足を踏みいれた。

東京タワー同様にその機能はあくまで電波塔であり、高さは634メートル(東京タワーは333メートルと覚えやすかった)とドバイのタワーに次いで世界第二位ということである。

さすがにオープン当時の混雑はおさまり、人気スポット「展望回廊」からの下りエレベーターも5分待ちぐらいで乗り込めた。

最上階から見下ろす眼下の景色もさることながら、むしろ回廊周辺に美しく飾られていた往年の宝塚トップスターたちの等身大の見事な写真の数々に目を奪われた。

外人客が多く、アジアはもちろん、欧米からも多くの家族連れがめだち、銀座界隈の客層とはちょっと趣が違った。

タワーの2~3階にひしめき合った「ソラマチ」のショップには若者が多く、ここへ来るとまた雰囲気が異なっていた。

半日のはとバスツアーであったが、ワイフと「こんなのも結構いいね。バスガイド嬢の都内案内も懇切丁寧でよかったね」とだべりつつ、バス降り場の東京駅へと向かった





二つの異色話題作

GWの後半は、暇に任せて洋画話題作の観歩きをした。

一つは人気絶頂の「アベンジャーズ インフィニテイー ウオー」で、もう一つはこれまたフィギュアスケート界を揺るがした「アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル」である。

前者は、2008年の「アイアインマン」から2018年の「ブラックパンサー」まで18本ものヒーロー映画を展開してきたいわゆるマーベル・シネマテイック・ユニバースのシリーズもので興行成績も含め世界映画史上最も成功を収めた作品群で、今回はその最新作で集大成ともいえる。

アベンジャーズとは、人類を守るために最強ヒーローたちが集結した究極のチーム。

その最強チームに立ち向かうのが全宇宙の破壊をもくろむとてつもない超強力パワーのラスボス・サノス。

宇宙にある究極の力を持つ秘石このインフィニテイー・ストーンの争奪をめぐり、アベンジャーズとサノスの死闘が繰り返される。

アベンジャーズの劣勢をみて、途中からドクター・ストレンジ、スパイダーマン、ブラックパンサー、ウインターソルジャーさらにはガーデイアン・オブ・ギャラクシーまでもが参戦するが、サノスの怪物ぶりに翻弄される。

観客はさすがに若者が多く、あまりのスリルとめまぐるしい死闘の展開に、さすがに年寄りにはしんどく、炸裂音を子守歌にしてしばし居眠りの休息が必要な作品であった。

一方の、「アイ、トーニャ」はトップアスリートによる驚愕の暴力事件「ナンシー・ケリガン襲撃事件」として一時スケート界を揺るがしたことがあり、記憶にもあったので、あるいはご存知の方もあるかと思う。

1994年のリレハンメル五輪の代表選考会となる全米選手権の会場で優勝候補と目されていたナンシー・ケリガンが何者かに右ひざを殴打され欠場、トーニャ・ハーデイングが優勝を飾る。

事件から2週間後トーニャの元夫らが犯人として逮捕され、トーニャにも嫌疑がかかる。

泥沼の訴訟に巻き込まれるが、最終的には彼女の主張が通り、オリンピックに出場する。

しかし運命のいたずらか突然の靴紐の不具合に見舞われ8位に終わり、特例出場したナンシーが銀メダルを獲得する。

ちなみにこの五輪の金メダルは全盛期のあのカタリナ・ビットであった。





みちのくの桜を求めて

2011年のあの大震災以来、久しぶりにみちのくの桜を求めて小旅行をした。

JRジパングクラブが企画したGW中の「フルムーンの旅」にジョインしたもので、総勢シルバー夫婦6組の少人数でのゆったりとしたグルメの旅でもあった。

初めて訪れた「弘前城」の桜はまさに満開で、内堀の水面を埋め尽くすほど浮かんだソメイヨシノの花びらも見事であったが、枝垂桜や八重桜も多く、こちらは所狭しとばかりに咲き誇っていた。

境内は上野公園も顔負けするほど広く、二の丸、三の丸から天守閣にかけての桜のトンネルは見事で、宴に集った人たちの多さに「北の国みちのくにこんなにも人出があるとは」と驚きの連続であった。

雪中行軍で有名な八甲田の残雪がなお堆いブナ林をバスで一気に通り抜けたあと、奥入瀬渓谷を十和田湖へと周遊しながら秋田県は「角館」の第二の桜の名所へと足を延ばし、さらに北上川沿いの第三の名所「北上展勝地」(世界一の桜のトンネル)へと向かったが、さすがにすっかり最盛期を過ぎて葉桜の緑のトンネルに、ガイド嬢(?)の声も心なしか小さくなっていた。

それでも、ズーズー弁を見事にこなしながらの名ガイドぶりには一同感服、旅程を終えて別れるころになると、そのなまりを惜しむ声がしきりであった。

小さな発見もいくつかあり、特に歌舞伎座にも見劣りしない明治の芝居小屋康楽館(国の重要文化財)でのミニ剣劇芝居や角館の武家屋敷探訪、そして稀代の破天荒童謡詩人佐藤ハチロー記念館で聴かされた数々の「かあさん」メロデイー、さらに妹佐藤愛子の傍若無人な兄への含羞とぼやきがそのまま残されている貴重な文献、いくつかのささやかな出会いと別れを余韻に秋田新幹線やまびこへと乗り込んだ。





2020年の大河ドラマは明智光秀が主人公に

先日、東京オリンピック開催と同じ2020年の大河ドラマに、明智光秀が主人公の「麒麟がくる」と決まり、しかも光秀役は目下人気俳優として名高い長谷川博己がやる、ということで、福知山の仲間たち(小学校時代の親友)の間で喜びのメールが飛び交っている。

地元の両丹日日新聞の朗報記事も送られてきた。

司馬遼太郎は「国盗り物語」のなかで、斎藤道三亡き後の明智光秀についてかなり詳しく触れており「古典的で良識的な常識人」「革命家信長に一時魅了されるが、酒宴の席などで怒鳴られることが多く、次第に離反していった」といった見方をしている。

信長を襲った「本能寺の変」には謎が多いが、秀吉に山崎の合戦で敗れるまで13日間天下を取っており、俗に「三日天下」と呼ばれている。

光秀が築城した「福知山城」は、小学校時代に通った母校のすぐ近くの小高い丘にあり、周辺の公園の桜とお城から見下ろせる由良川が美しかった覚えがある。

ただ、このお城のそばに国立病院も併設されており、世をはかなんだ患者さんが小学校のトイレで自殺するという痛ましい出来事にも遭遇した。

光秀はなかなかの教養人で優れた歌人でもあり、「時は今 天が下知る 五月哉」の意味深な句はあまりにも有名である。

愛娘の細川ガラシャもその美貌だけでなく優れた教養人で、キリシタンとして非業な最期を遂げるまで生涯夫忠興を愛し続け、良妻賢母の鑑でもあった。

ともかく、2020年へ向けて、縁故地福知山と明智光秀がいろいろな場で熱く語られ、地域おこしのうねりが広がっていくようで、それはそれで喜ばしい限りである。





わくわくスパイ映画「レッド・スパロー」を観る

このところとりわけ洋画に話題作が多く、どれを観るか迷うことが多い。

「ウインストン・チャーチル」と「ペンタゴン・ペーパーズ」が相次いで上映された。

前者はとくにアカデミー賞のメイクアップ部門で日本人が初受賞したことで話題を集め、後者はスピルバーグ監督で2大オスカー俳優のメリメ・ストリープとトム・ハンクスが共演、映画ファンの間では話題沸騰である。

しかも、自宅からほど近いデイズニーランド隣接のシネコン「イクスペアリ」で同時上映中とあって、迷うことこの上なし。

早速同じ映画大好き人間のワイフに意見を求めたところ、すでに情報を子細に仕入れており、「この2作品もいいが、今最も注目しているのはスパイ映画のレッド・スパロー」と意外な答えが返ってきた。

マニアックな作品は上映期間が短く、見逃すことが多いが、「チャ-チル」と「ペンタゴンペーパーズ」は話題作ゆえロングラン上映になろうと読んで、見逃しかねない「レッド・スパロー」にいち早く足を運んだ。

これが、まさしくハラハラドキドキの息もつかせないスパイ物で大当たり。

モスクワのボリショイバレー団のトップダンサーであるドミニコ・エゴロワはステージ上の大けがでその地位を失うが、ロシア情報庁幹部の叔父ワーニャが救いの手を差し伸べる。

病気の母の治療費を工面するためドミニカはワーニャの指示でスパイ(スパロー)養成学校に送られる。標的を誘惑し心理操作するテクニック(ハニートラップ)を学んだ彼女はその美貌と才能を買われ情報庁の上層部に食い込み、アメリカとの内通者を探り出す役目を任される。

標的であるアメリカCIA敏腕捜査官ネイト・ナッシュに接近、モスクワからブタペストへと追跡しながらネイトの心を蜜のように溶かして内通者の正体を探ろうとするが、二人の関係は近くなるほどに微妙に変化していく。

疑念を持たれた彼女は敵国アメリカのみならず祖国ロシアからも狙われる羽目に・・・。

その罠とは?結末は?複雑な展開を繰り返しながら意外なエンデイングを迎える。

ベストセラー作品の原作者は33年間CIA工作員として活躍したジェイソン・マシューズ、主役のエゴロワを見事にこなすのは、弱冠28歳の若さで早くもハリウッドのトップスターにまで上り詰めたアカデミー女優ジェニファー・ローレンス、リズテイラーの再来を思わせる彼女の美しい瞳と見事な肢体はいつまでも脳裏から離れない。





色とりどりの春の息吹

今年の桜は例年よりも早かった。

上野公園や近場の桜並木、美浜公園、若潮公園でしばし桜と戯れたが、早くからセットしていたいくつかの同窓会での桜見物は山場を過ぎていたため、いずれも「花より団子」の集いとなった。

それでも、ソメイヨシノは無理だったが、枝垂桜や八重桜には間に合い、俳句愛好家の仲間はいくつか心にしみる名句を披露してくれた。

短い桜の季節が過ぎると、早くもつつじやチューリップのあでやかな色が疲れた目をいやしてくれる。

若葉の緑も目にまぶしい。春まだ浅き頃はどことなく薄緑の若葉だったのが、季節が深まるにつれ緑も深くなるように感じられる。

ある春先のこと、紅葉の細い枝を子細に見ると、葉の隙間に小さな花が咲いていた。秋の紅葉も春には他の木々に負けじと花を咲かせているのがいじらしい。

色とりどりの春の息吹は植物だけでなく、動物たちからも伝わってくる。

いつもの早朝散歩のコースに、小さな動物園がある。

冬の間は、「動物たちが風邪をひくといけないから」という飼育員の配慮からか、ほとんど姿を見せなかったが、4月に入ったある日のこと、このミニ動物園に鮮やかなオレンジ色のショウジョウトキが姿を見せた。

数えてみると昨シーズンと同じ6羽が、そろってバードゲージにそれぞれ自慢のポーズで羽ばたいていた。

周りの緑とのコントラストが絶妙で、散歩の足を止めてしばらくうっとりと見とれていた。

もちろん、スマホを使って次々とシャッターチャンスを狙い、携帯の待ち受け画面にも保蔵した。

梅雨から初夏に向かってアヤメやアジサイのシーズンを迎えるが、今から雨露に光った紫やピンクの花びらが楽しみであり、花を求めてやってくる蝶々や鳥たちのさえずりも待ち遠しい。

そういえば、食卓にもタケノコやゼンマイ、ワラビといった春の山菜が並び、目や耳だけでなく舌にも春の訪れが感じられるようになってきた。





山本周五郎の「寝ぼけ署長」を読み返す

ちょっと前になるが、このブログで山本周五郎作品の「青べか物語」をご紹介したことがある。

山本周五郎は藤沢周平と並んで、かつて片っ端から読み漁った大好きな作家のひとりであり、しかも今住んでいる千葉県浦安の昔を舞台にした作品とあって、興味深く丁寧に活字を追った。

彼の「赤ひげ診療譚」や「さぶ」も心にしみる作品だが、その流れで最近になり「寝ぼけ署長」を読み返してみようという気になり、再び丁寧に活字を追った。

冒頭「中央銀行30万円紛失事件」から始まり、終章の「最後の挨拶」」まで、ともかく心のこもった名署長の在任5年間の活躍は魅力たっぷりである。

五道三省という変わった名前で、年は四十か四十一、太って格好がさえない上に、小さな目はしょぼしょぼ、動作は鈍く言葉もたどたどしい。

いつも寝ぼけ眼でともかく署でも官舎でも寝てばかり、お人よし、ぐうたら、無能呼ばわりされるが、こんな風評は一向に気にしない。

ところがこの独身署長は、英独仏の三か国語に通じ、漢文にも詳しく、ものすごい読書力を備えた傑物である。

しかもいったん事件が起こってからの捜査のやり方はこれまでの常識にとらわれず、かつ「罪を憎んで人を憎まない」温かみの溢れるもので、署員はもちろん、地域の住民、とりわけ貧民窟の貧しい人々への目線も決しておろそかにしない。

心のこもった丹念な捜査ぶりが、多くの難事件を彼一流のやり方で解決に導いてゆく。そのほんわかとした手法は、いつの間にか地域の人々の心の中に溶け込み、この「寝ぼけ署長」を慕うファンの輪は町の隅々まで広がってゆく。

五年の任期が終わりいよいよ本庁への転勤が決まると市民の多くから留任運動がおこる。

氏の分野では、大きく分けると探偵小説のジャンルに属するが、周五郎ならではのヒューマニズムがふんわりとしたタッチで描かれており、何度読み返しても飽きない。





水泳との長い付き合い

鳥取の田舎町で生まれ、幼少期を過ごした。

戦後色があちこちに残り、若いアメリカ兵が退役将校の父に連れられて時々自宅にやってきた。ジャック(白人)とクロウ(黒人)のふたりには可愛がられ、チョコレートをよくくれたが、遊び仲間のガキ大将に見つかるとすぐに巻き上げられるので、隠すのに苦労した覚えがある。

その小さな田舎村にはもちろん幼稚園はなく、無医村でもあった。

それでも、小学校に入るころにはお医者さんが見つかり、身体検査になるとといきなり満州から引き揚げてきた大柄で眼鏡をかけた口数の少ない怖い校医さんに聴診器を当てられ、ごつい指で「トントン」と胸をたたかれ、こわごわと逃げ帰ったこともある。

この「怖い校医さん」の次女と結婚することになり、その後義父としていろいろ薫陶を受ける羽目になった。

ともかく子供の頃は体を動かすことが大好きで、夏になると近くの小川やため池で水遊びが日課のようになっていた。

村の鎮守様が祀られている神社の裏手にちょっとした湖沼があり、ここには泳ぎに自信のある子供しかやってこなかったが、雨上がりの蒸し暑い日とあって泳ぎ自慢たち数人でたわむれていたところ、草間から泳ぎに加わりたいとやってきたのか大きな蛇がぬるぬると湖面にせり出し、かなりのスピードでこちらに向かってきた。みな声を合わせて一斉に潜りしばらく湖中で息を凝らし、この大蛇(たぶん青大将だろう)が通り過ぎるのを待った怖い体験もある。

このように、水泳との出会いはかなり早く、学校のクラス対抗戦などではリレーのアンカーに選ばれたりしたが、中高時代の部活はなぜか「卓球」や「柔道」で、水泳部として本格的にのめりこむのは大学に入ってからだった。

その後、水泳とのつながりは長く続き、社会人になってからも職場の水泳部に所属していたが、何しろ部活経験者が少なく、インターバンク(銀行団)の水泳大会があると、フリーはもちろん、バタフライや背泳さらには個人メドレーまで駆り出されへとへとになったこともある。

最近は自宅近くのスポーツジムに通い、「フルタイムプール」というコースで自由遊泳を続けていたが、さすがに寄る年波には勝てず、先日このコースからも脱会、長く続いた水泳との付き合いからもようやく卒業した。





歯痛薬の眠気から肝心なシーンを見逃す失態

後期高齢者に仲間入りした。

いろいろなところにガタがくる。

視力の衰えはさほどなく、まだ老眼鏡のお世話にはなっていないが、腰痛や肩痛に悩まされることは少なくない。

先日、春の訪れを待って久しぶりにゴルフを楽しんだ。

自宅から2時間以上かかる埼玉県は寄居町のコースに、列車を乗り継いで出かけた。

ラウンドを終えて数日後、急に頭の左側頭部が少し痛むので、「ゴルフの後遺症かも」とたかをくくっていたが、なかなか治らない。

普段は痛みもほとんど感じなくなったが、暑いお茶をすすると急に痛みがぶり返してくる。昔教わった素人療法で正露丸を歯間に詰め込むと和らいでくる。

「やっぱり歯痛だ」と自己診断、痛み止めの市販薬を買い、その場でドラッグストアお抱えの薬剤師の指導を受けながら処方箋に書かれた通りの成人用2粒を服用したところ、痛みが治まりとりあえず一安心した。

ただ、その後有楽町の映画館で話題作の「ザ・シークレットマン」(ニクソン大統領失脚の引き金となったあのウオーターゲート事件を暴いたFBIの鑑とされる名副長官フェルトを描く)を観に出かけたが、眠気に襲われ肝心なところ(フェルトが敏腕のワシントポスト記者に機密情報をリークする場面)を見逃し、映画館を出てからの喫茶店でワイフから補足説明してもらう羽目になった。

この作品はアカデミー賞受賞作「シンドラー」のリストで一躍有名になった名優リーアム・ニーマンが民主主義と正義のために大統領を震え上がらせるが、その後機密情報リークの罪で長期服役、(レーガン大統領の恩赦まで)、私生活では愛娘は家出、妻はアルコール依存症とうつ病から自殺するなど、波乱に満ちた生涯を送る。

時々駄作に出会うと眠気に襲われることが増えてきたが、なかなかの話題作であっただけに、ファンで満席の映画館で不覚にも眠りこける失態を演じてしまったのが悔やまれる。





「鋼のメンタル」を読む

このところ、「永遠のゼロ」や「海賊と呼ばれた男」などで話題作を世に出し、一方で「カエルの楽園」や「大放言」などではとかく物議をかもしている、元放送作家の百田尚樹の「鋼のレンタル」を面白く読んだ。

「他人の目が気になって仕方がない」「悪口を言われると落ち込む」「人前では上がってしまう」・・・こんな悩みを抱えている人は少なくない。

作者は「でも大丈夫ですよ」「考え方ひとつで精神の強さは鍛えられる」「マスコミやネットで激しいバッシングを受けてもへこたれない」と、時に売れない放送作家時代を振り返りながら、時に有力紙やSNSのバッシングに遭遇した自らの実体験を紹介しながら、読者にサラリと説く。

このような鋼のメンタルはどのように形成してきたのか?

打たれ強さの鍛え方は?

挫折との付き合い方は?

心を立て直すには?

いくつかの問いかけをしつつ、

「ともかく有言実行を心掛けてみよう」

「お世辞は決して悪くない。誉め言葉を上手に使えるようにしよう」

「配偶者には決して理想を求めてはいけない。親子は一世、夫婦は二世という言葉が好き」

「百年後の世界から自分を見よう。舌禍でマスコミバッシングのさなかにあった橋本徹と対談した際に木星から地球を見ると僕の爆弾発言なんか小さい、とかわされ感心した」

などなど、示唆に富んだ実践的メンタルコントロール術や含蓄のある人生訓が次々と展開される。

氏にしては珍しい人生論の好著である。

何かと悩み多きこのご時世、広く一読をおすすめしたい。





「挺差一尺」を読む

東京に住む京都山城高時代の同級生たちと時々会う。

その中に、無類の読書好きがいて、結構気に入った作品があると一読を薦めてくれる。

京大では当初文学部に入学、2年生から経済学部に転部したが、本好きは今も変わらない。

最近薦めてくれた本に、京大ボート部マネジャーの著した「艇差一尺」というのがある。

半世紀前のまだ戦後色が残るころ、メルボルン五輪代表をかけてライバル慶大と熾烈な争いを演じた京大ボート部が、わずか一尺(30センチ)という僅差で涙をのんだ物語である。

そこには日本のレガッタ史に残る名勝負をクライマックスに、漕艇仲間たちの青春群像が時代の波にもまれながら繰り広げられ、著者の筆力に惹かれぐいぐいと引き込まれていく。

特に、冒頭この物語の主人公である菅キャプテンが優れた土木技術者として社会人生活を終えて肝臓がんで急死、彼のこよなく愛したクラシック音楽葬に集まるかつてのボート仲間たち、とりわけ彼を兄と思慕する光永後輩主将(同じ四国今治の出身で高校、大学とも同じ学校に通い主人公を追いかける)が艇庫のあった故郷の浜辺に供花するところから始まる。

ラストでは、亡くなったキャプテンの在りし日の素顔(音楽との出会い、彼女との淡い思い出、学生運動にかぶれたころ)や慶大との勝負から学んだ人生訓などが、ボート仲間によって、熱く哀しく語られる。

時折、かの有名なボート部歌「琵琶湖周航の歌」が部員たちにより高らかに朗唱され、この唄が生まれてきた背景や歴史が湖周の風景とともに語られる。

優れた研究者で部活での名伯楽でもあった高村コーチの巧まざる指導ぶりや、亡き友菅キャプテンの墓参に駆けつけるライバル慶大須永キャプテンの姿にも胸を打つ。

ボート部とは雲泥の実力差であったが、小生が青春を共にした同じ河童族の水泳部仲間との思い出とどこか重なり、タイムスリップしてうなずきつつ読んだところもあり、一読を薦めてくれた友人に感謝している。





福井の豪雪

今年の冬は雪が多く、北陸地方も記録的な豪雪に見舞われた。

特に福井では県内の国道8号で1500台もの車が立ち往生自衛隊が出動し除雪作業に当たるなど、昭和56年以来37年ぶりの豪雪に見舞われた日もあった

「56豪雪」の思い出は今となっては懐かしい。

当時日銀の福井事務所長勤務を命じられ、まさしく56年初頭雪煙の中を任地に赴いた。

雪ですっぽり埋まった所長宅で前任所長との引継ぎをしたが、玄関は通れないので二階の窓から出入りした。

「びっくりされたでしょう?でもしばらくすると慣れてきますよ」

人のいい感じの前所長さんからの言葉であった。

翌日、雪のトンネルを通り抜けながら会社に向かった。

間借りしていた地元銀行の頭取に着任のごあいさつに出向いたところ、開口一番「お隣に住んでいるが、愛犬がこの雪で行方不明になった。

お宅の庭は雪捨て場になっているようなので、その中に生き埋めになっているかもしれない。

雪が解けてからでいいので、消息が分かれば教えてほしい」こう言われた。

お子さんがなく、ご夫婦で犬を飼って可愛がっておられたようだ。

「わかりました。雪解けを待ってご報告に上がります」

早速、事務所の職員に「雪はいつ頃になると溶けるのでしょうか?」

地元入行の年配女性は「これだけの積雪ですから、たぶん早くてGW空け頃になるでしょう」ケロリとして言われた。

半年近く経って雪解けを待ち庭を探したところ、どこにも犬の亡骸はなかった。

「愛犬は見当たらなかったです」早速こう報告したところ、「そうですか。どこかへ行方不明になったのかもしれませんね。ありがとうございました」としょんぼりとした声が返ってきた。

この豪雪のさなか、経済学者で森鴎外の研究者でもあった、吉野俊彦理事が慰問を兼ねて福井にたずねてこられ、一晩お酒を酌み交わしながら豪雪地帯での日銀券輸送の気苦労などいろいろなお話をうかがい勉強になった。

のちに日銀を退職されてから、小生の釧路支店長勤務時代にも「森鴎外と親交のあった石川啄木の釧路時代を知りたいので案内してほしい」と頼まれ数日お伴をしたことがあったが、豪雪の福井ともども懐かしい思い出である。





平昌五輪を振り返って

2月ラストの日曜日で18日間の平昌冬季五輪の熱戦の幕が下りた。

開催までは、ロシアのドーピング問題や北朝鮮との南北合同チーム結成などが絡み、何かと気をもんだ平昌大会ではあったが、幕が開くと日本選手の活躍が予想以上で、メダル獲得も予想の9個はもちろん、これまでの長野五輪の11個の記録も大きく上回る13個となった。

前半はフィギュアの羽生、宇野選手のワンツーパンチをはじめとして複合の渡部、スノボーの平野、モーグルの原と総じて男性陣の活躍が目立ったが、後半から終盤にかけスピードスケートの高木姉妹、小平選手、団体パシュートの金メダル、カーリングの団体初メダルなど女性陣の活躍が目を引き、冬季五輪界にこれまでにない新しい風をかなり吹き込んだように思う。

国別メダル数では、ノルウェーの39個を筆頭に、ドイツ、カナダなどやはり北の国々が上位を占め、開催国の韓国も過去最多の13個とベスト7に食い込み気を吐いた。

夏の大会で上位常連の中国が16位と冴えなかったが、次回の2022年の北京大会では上位陣に加わってこよう。

メダル数もさることながら、最終日のフィギュアスケートのエキジビションでゴールドメダリストの羽生弓弦選手が震災からの復興を白鳥に込めてしなやかに舞った姿には会場から万雷の拍手が送られ、大会に彩を添えた

ただ、このところ五輪開催国が今回の平昌そして2年後の東京、さらには2年後の北京とアジア地域に集中しているのはちょっと気がかりである。

かってはロンドン、パリ、ローマといった欧州主要都市での開催が目立っていたが、やはりEUの内部事情や財政負担などが絡んでいるようでもあり、世界的なスポーツ最大イベントである五輪そのもののありようが問われているように思われる。





羽生(はにゅう)選手の連覇

今回の平昌冬季五輪では、フィギュアスケートで羽生選手が66年ぶりのオリンピック金メダル連覇という歴史的偉業を成し遂げた。

その日の日本列島はあちこちで「万歳三唱」のどよめきが巻き起こり、有力紙は号外まで発刊するなど沸きに沸いた。

各国メデイアも、「霊妙な美しさを見せつけた」(NYタイムス)、「氷上のマイケルジャクソン」(英紙インデイペンデント)、「王子から皇帝に」(中央日報)、と絶賛の報道が相次いだ。

4分半のフリー演技に酔いしれた観客の中には、踊り終えた彼が両手で右足首を包み、片膝をついてリンクの氷に掌で触れた姿に思わず号泣したファンもあったという。

昨年11月にNHK杯の公式練習中に右足首を痛め、氷に乗ることすらできない日々が続いたが、それでも自分を信じ復活へ向けてあらゆる努力を重ねた結果の金メダル、そのピンチを乗り越えてきたひたむきな彼の姿に流れる涙をぬぐえなかったのであろう。

報道陣の取材に、右足をさすりながら「よくがんばってくれた」と感謝の言葉を繰り返していたが、思わず胸が熱くなってきた。

高校一年の時に東日本大震災に遭遇、避難者生活も経験し、周囲の惨状に「このままスケートを続けていいものか」悩んだ時期もあったという。

前回のソチ五輪金メダルではそうした方々への恩返しと語っていたが、今回の連覇でも被災地の方々への感謝の気持ちを忘れなかった。

そうした羽生の背中を追いかけてきた宇野選手も初の五輪で銀メダルに輝いた。

日本としてはフィギュア界初の金銀ワンツーパンチとなり、歴史に残る五輪として長く語り継がれるであろう。

同じ日に、将棋界では王者羽生(はぶ)が中学生の藤井新六段に敗れ、同じ羽生姓の明暗記事が躍った。

システムに強いいたずら好きの友人から、「暇な人が、羽生選手の金メダル画像をアップすれば将棋の羽生名人の画像が近い構図で送られてくると教えてくれた。

タグ反則気味だが興味のある方はどうぞ」とこっそり紹介してきた。





記録的寒波襲来と釧路の思い出

今年の冬は寒く、1月下旬に入り都心では最低気温が1970年1月以来48年ぶりの零下4度を記録した。

日陰になるとところどころ雪が残り、凍結した路面をおそるおそる歩きながら会社に向かうサラリーマンの姿が目立った。

この風景に出会うと、平成がスタートした頃に過ごした釧路時代の思い出が走馬灯の如くよみがえる。

毎朝の挨拶は、「昨日は何度でしたかね?」「そうですね確か7、8度だったようにおもいますが・・・」。零下が当たり前の釧路では、気温にはマイナスをつけない。

凍結した小学校のグランドは、周囲に板を張り水を流し込むとそのままスケートリンクになる。

スケートやアイスホッケーの有力選手を輩出するのもうなずける。

ダイヤモンドダストがキラキラと輝き、その中をエゾシカの大群が雪煙を挙げながら走り抜けていく姿に息をのんだこともある。

とある日の釧路新聞には、「根室行の列車が巨大なエゾシカに衝突して横転」といった記事が掲載され驚いた。

釧路川にはオホーツクから流れ着いた流氷が川面を埋めたりもする。

郊外の釧路湿原では、餌場に飛来した丹頂鶴の求愛ダンスに全国から押し寄せてきた数多のカメラマンがシャッターチャンスを狙って列をなす。

阿寒湖の湖面は分厚い氷に覆われ、湖上のあちこちに穴をあけワカサギ釣りに興ずる子供たちの姿が目立つ。

一方で、室内は二重ガラスと全室スチーム暖房が完備、ぽかぽかしたリビングでビールを飲む姿が窓越しに見える。

わずか2年半の釧路生活であったが、その鮮烈な冬の思い出は美しい自然とともに今も脳裏から離れない。





私なりの健康法

身近な親族や親しい友人が、目下ガンと闘っている。

肺ガンが二人、前立腺ガンが一人である。

ほぼ同世代だが、中には50代半ばもいる。

その人たちのこの細胞との「闘い方」はそれぞれ異なるが、いろいろ教わる中で私なりに気付いたことが少なからずある。

その道の権威といわれるいわゆる名医の意見もまちまちなように思う。

ある名医は「早期発見」「投薬・手術」とそのための「健康診断励行が必定」とアドバイス、別の名医は「投薬・手術の効果は疑問」と説く。

基本的には、やはり長寿社会からもたらす病弊であり、一方で「健康診断」の普及、「検査技術の発達」さらには「治療・投薬方法の改良」が大きく関与しているのであろう。

私自身は、ものぐさのせいではないが、「健康診断」や「人間ドック」を敬遠しており、投薬や手術もなるべく避けて70有余年の歳月を生きてきた。

子供の頃は、どちらかというと虚弱体質で、流行性脳脊髄膜炎や扁桃腺炎、アデノイド肥大、黄疸などで、学校を休むことが多く、「この子は無事育つだろうか?」と両親や祖父母たちもやきもきしていたとのことである。

ただ、小学校も高学年に差し掛かると、野球や相撲さらには喧嘩などで飛び回るようになり、厳格な校長で寡黙な祖父から、ランドセルの背中に向かって「光ちゃんは学校が好きか?何しに行く?」と声をかけられ、「好きだよ。喧嘩しに行くんだ」と答えながら玄関を飛び出していった腕白盛りの懐かしい思い出もある。

中学、高校、大学になると卓球や柔道、水泳などの部活でも結構活躍するようになり、その後は病気とのかかわりは大学卒業直前の盲腸炎手術以外これといってない。

定期健診をやらない割には、体調管理には平素からかなり意を砕いており、「早寝早起き(9時半就寝、5時起床)」を励行、この30年間は毎朝自宅周辺を1時間近く散歩し、万歩計で「一日一万歩」をチェックしている。

また、体調がいまいちと自覚すると自宅や職場近くの内科医にいち早く足を運んでおり、その面では結構ナーバスではないかと自己診断している。





初のシンガポール旅行

年末の休みを利用して、初めて近代国家に変貌したシンガポールに足を踏み入れた。

世界最大級の国際空港を降り立つと、ほどなく近代都市のビル群が目に飛び込んできた。

アジアの金融メッカは今も勢いを失わず、1984~85年日銀外国局係長勤務時代、まだ勃興期のMAS(Monetary Authority of Singapore シンガポール中央銀行)の若手金融マンたちに「日本の金融制度や外国為替の仕組み」につい<て集中講義したころが懐かしく思い出されてきた。

マレーシアの先端に位置するこの国は、1858年英の植民地となり、1942年から3年間日本軍に占領されるが、再び英領に復帰、1959年には独立国としての地位を獲得する。東京並みの国土に約5百万人が住んでいるが、中国、マレーシア、インド、英国、日本等の多民族国家でもある。

自治・独立以来長くこの国をリードしてきたリー・クアンユー首相の手腕により近代都市国家としてとりわけ金融、貿易面で目覚ましい発展を遂げており、巨大なハブ空港や広大なコンテナーヤードといったインフラをはじめ、巨大なホテル群や華やかなカジノ場などにその姿が垣間見え、一方で日本に見習ったといわれる治安の良さや清潔な街づくりにも目配りがなされている。

駆け足の旅ではあったが、中心街から主だった観光地(セントーサ島)へはタクシー移動が料金も含め便利で、オフィス街がクリスマス休暇中もあって効率的な周遊が楽しめた。

メインのマリーナベイクルーズ、マーライオン、ナイトサファリをたっぷり堪能したほか、フリータイムでは、下町のチャイナタウン、リトル・インデイア、アラブ・ストリートといった裏通りのほか、ガイド説明のなかった旧日本軍との最後の交戦地「シロソ砦」にまで足を延ばすことができた。

赤道にほど近い常夏の国から、厳冬の国へ、機内でTシャツから様変わりのダウンコートに着替えながら短い旅を終えた。





今年の初詣

以前は明治神宮や川崎大師にまで足を運び、なんと2~3時間の行列もものともせず、参拝していた初詣だったが、最近は老境に入り近場で済ませることが多くなってきた。

最寄りの地下鉄東西線で門前仲町駅を降りると、ほどなく富岡八幡宮があり、お隣の深川不動尊も一緒にお参りし、参拝の後「開運厄除」の守護矢を買い、おみくじを引くのが習わしとなっていた。

いつもの富岡八幡宮は例の大事件もあって、今年はさすがに敬遠、どこにしようか、パソコンで「初詣の穴場」を探し出し、西新井の大師様を初めて訪れることとした。

駅からほど近いが、その割に混雑が少なく、行列も30分ほどで済んだ。

東武伊勢崎線の西新井駅から大師駅まで、新たに切符を買うこともなくスイカでそのまま改札を通りすぎることができるのも至便であった。

昼時とあって、沿道に所狭しと並ぶ屋台で焼きそばと甘酒でそそくさと青空ランチを済ませ、北風で冷えた体を喫茶店の熱いコーヒーでしばし温めた後、東武線、日比谷線、京葉線と乗り継いで帰宅した。

電車の中も混雑はなく、シルバーシートに腰を掛けながらののんびりとした外出であった。

かつて、新宿区の西落合というところに住んだことがあり、近くに「新井薬師」という初詣の適地があったが、「西新井大師」と「新井薬師」は似た名前だが、前者が西に位置するとは思えず果たしてどういう関係になるのか?

その分野に詳しい知人に尋ねたところ「ともに総持寺系の神社仏閣ではあるが、前者は弘法大師空海の流れを汲み、後者は目の悪い人が参拝するお薬師さんである」ともっともらしい解説であった。

来年の初詣はどこにするか、富岡八幡宮は果たして厄払いも済み、再び訪れることができるのか?

ちょっとした心配をしながら今年の初詣の神事は終わった。





ユダヤ人映画を立て続けに観る

とある週末、ユダヤ人を主題にした映画を立て続けに観た。

とある週末、暇に任せてまったくジャンルの異なる2冊の「本」を一気読みした。

一つは「否定と肯定」であり、もう一つは「ユダヤ人を救った動物園」である。

何れも実話を映画化した作品であり、ともに話題作であるが観客の入りは、片や満席、片やガラガラと様変わりであった。

前者は都心ど真ん中の日比谷の「シャンテ」で、後者は遊園地デイズニー併設の「イクスペアリ」とあって、作品と客筋の違いがもたらしたのであろう。

「否定と肯定」は法廷物で、ナチスによる大量虐殺を法廷で証明できるのか。

歴史学者リップシュタットがホロコーストを否定する歴史学者アトランタのアーヴイング教授に挑戦する。

アーヴイングに名誉棄損で訴えられたリップシュタットは敏腕弁護士とのチームワークで控訴院での「棄却」により勝訴するまでの、5年間もの歴史的裁判回顧録の映画化である。

この裁判は、英国では「ニュールンベルグ裁判やアイヒマン裁判が昔の世代に行っていたことを、新しい世代に向けて行った」(ロンドン・デイリーテレグラフ紙)「歴史の真実が勝利を収めた」(ロンドン・タイムズ紙)と評判になり、米国でもリップシュタットがクリントン、オバマ両大統領から合衆国ホロコースト記念博物館の歴史コンサルタントとして指名されるなど何かと話題を呼んでいる。

一方の「ユダヤ人を救った動物園」は比較的気軽に観れる作品である。

舞台は1939年ポーランドのワルシャワ。

ヤンとアントニーナ夫妻は、当時ヨーロッパ最大のワルシャワ動物園を営んでいた。

その年の秋、ドイツがポーランドに侵攻し第二次世界大戦が勃発、動物園も戦禍に巻き込まれる。

こうした中でユダヤ人の多くがゲットー(ユダヤ人強制居住区)に連行される姿を観て、ヤンはアントニーナに「この動物園を隠れ家にしよう」と驚くべき提案をする。

そこへヒトラー直轄の動物学者ヘック(アントニーナに想いを寄せる)が複雑に絡み、事態は緊迫の度を強める。

ユダヤ人の救済と動物の保護そして愛する家族との絆、時には狡猾に、時には果敢に、動物園の地下で得意のピアノを奏でながら未曽有の戦禍を潜り抜ける美しいアントニーナの姿に胸を打たれる。

ワルシャワ動物園はその後復興し、アントニーナの弾いていたピアノやユダヤ人を匿った地下室は園内の博物館に今も残されているという。





フランスはどう少子化を克服したか

フランスはどう少子化を克服したか。

フランスは先進国の中でもいち早く少子化問題に直面していた。

そのフランスが、今やこの問題を克服し、なお人口が増え続けている。

そのヒントがこの本の中にいくつもちりばめられているように思う。

筆者の高橋順子さんは、昭和49年生まれ、東大卒業後出版社に勤務、2000年に渡仏し、パリ第四大学ソルボンヌで仏語を学ぶ。サラリーマンの夫と共稼ぎで、パリ郊外でライターを主業としている。

2009年と2012年に生まれた二人の息子はいずれも1歳から保育園に預け、3歳からは朝8時半から夕方4時までの「保育学校」(週4日半、3年制、教育費無料)に入学させている。

フランスではこの「保育学校」利用が一般的で、「宝石のように価値ある制度」と育児に携わったパリっ子(親)たちは胸を張る。

さらに驚くのは、赤ちゃん誕生後サラリーマンの父親には3日間の出産有給休暇が与えられ、雇い主が給与を負担、拒んだ雇い主には罰金が科せられるため、取得率はほぼ100%だという。

お父さんトレーニングの第一歩で、沐浴、おむつ交換等が助産婦指導で進められる。ミルク育児の場合は、ミルク作りや授乳のコツも教わる。

出産有給休暇が終わった男性には、今度は11日連続の「子供受け入れ及び父親休暇」(国が給与負担)が待っている。

雇用主は拒むことが出来ず、罰金もある。この2週間の出産有給休暇の後、これとは別に男女を問わず2年間の「育児休暇」が取得できる。

ただ、この「育児休暇」取得男性はまだ2%に過ぎず(大半はキャリアに影響するので取得難との理由)、少子化改善先進国のフランスでもここはまだ大きな課題として残されているようである。

ちなみに、このような父親育児参加が日常生活に深く浸透し一般化しているフランスでは「イクメン」という言葉そのものもないとのことである。

このほか、「無痛分娩の薦め」や「母親アシスタント制度(ベビーシッターの進化形)」などきめ細かな施策についても詳述されており、この問題に悩まされているわが国にとり文化や意識の違いを乗り越えて大いに参考になるところであろう。

あとがきで、筆者はこの本(2016年刊)を執筆中「少子化問題に取り組む政府関係者の方にお話しする機会があった」と述べているが、ともかく時間のかかる根の深い問題である。

政府関係者だけではなく、やはり政治家の本気度さらには国民の危機意識そのものが問われているように思う。





2冊の「本」を一気読み

最近、アメリカでもっとも稼いだ映画とされる注目作「GET OUT(ゲット・アウト)」を観た。

とある週末、暇に任せてまったくジャンルの異なる2冊の「本」を一気読みした。

時々こんなことがある。

一つは今人気の漫画本「君たちはどう生きるか」である。吉野源三郎の有名な原作で、これを漫画家の羽賀翔一が描いた。

原作文も漫画の合間を縫って記述されており、漫画そのものもなかなかの出来栄えである。

かって読まれた方はご存知の通り、主人公の中学生コペル君が同居するおじさん(父は亡くなている)のアドバイスで人間としてあるべき姿を求め続け成長していく。

歴史的名著がこのような形で80年の歳月を経て漫画化されたのは初めての試みではなかろうか。

今回の人気に便乗して漱石の「坊ちゃん」や「こころ」などもいつの日か漫画化されるかもしれない。

もう一冊は、全く畑違いの「ビットコインのからくり」である。

内外の金融界はもとより、私どもの生活ともかかわりの深い「仮想通貨」について、果たして良貨になりうるのか、電子マネーやクレジットカードとどう違うのか、その背後に潜む数学や暗号技術と経済そのものへの影響などその「からくり」について、わかりやすく説明している。

この分野に詳しいと目されるエコノミスト(吉本佳生)とジャーナリスト(西田宗千佳)の共著である。

冒頭、「今から300年以上前の1694年イングランド銀行が設立されたが、その際に英王立造幣局長官の座に就任、国家発行貨幣の守護者となったのが偉大な数学・物理学者のアイザック・ニュートンであった。

このニュートンは長官として多額の報酬を得たが、その後英国史上最悪といわれる「南海バブル」に巨額の投資をして大損した。

これがバブルという経済用語の語源である」といった興味深いエピソードも紹介されその事実に驚かされる。

どうやら、ニュートンの素顔は万有引力の法則を発見した「リンゴの木」のだけ人物ではなさそうである。

難しい数学や暗号の世界がわかりやすく解説されており、著者同士の対談も平易な語り口で参考になるところが多く、幅広く読まれることを期待したい。





M-1 グランプリ

最近、漫才や落語を聞く機会が増えてきたように思う。

大阪の北野天満宮近くに「繁昌亭」というこじんまりとした落語寄席の小屋があるが、そこで若手落語家4人の噺を聴く機会があった。

それぞれになかなかの芸を披露してくれ、時のたつのを忘れるほどであった。

観客は20~30人と少なかったが、一生懸命で汗をふきふきの熱演ぶりに好感が持てた。

古典もあれば、創作落語もあり、バラエテイーにも富んでいた。

往年の桂三枝(現文枝)や笑福亭鶴瓶ほどの人気はないが、若手らしい新鮮さに好感が持てた。

一方、漫才のほうはなかなか直に聴く機会がないが、先日テレビ番組で若手漫才師の登竜門ともいえる「MIグランプリ」をたまたま見たところ、なかなかのものであった。

芸歴15年以内の4094組が予選に参加、決勝は敗者復活を含む10組で争われた。

今年は「とろサーモン」が栄えある優勝に輝き、優勝賞金10百万円を手にした。

総勢7人の審査員の顔ぶれも多彩で、各100点、合計700点満点で採点される。

個性ある審査員のなかでも、とりわけ上沼恵美子嬢?の毒舌ぶりや感動コメントには知らない間に引き込まれていた。

このほか、オール巨人や松本人志、小朝、中川家、渡辺正行、博多大吉といった名うての審査員も加わり、時に辛辣、時に激励のコメントが後輩芸人の胸に響いたように思う。

司会の今田浩司と上戸彩の熱のこもった司会ぶりもよかった。

今年は観客席からの拍手が例年以上に多く、一部には「甘すぎる」といった指摘もあったが、その場の盛り上がりには大いに役立ち、若手芸人にとっても背中を押されている感じがしたのではなかろうか。

いずれにせよ、この「MIグランプリ」はあくまでも登竜門で、これからの成長が楽しみである。





GET OUT を観る

最近、アメリカでもっとも稼いだ映画とされる注目作「GET OUT(ゲット・アウト)」を観た。

日本ではあまり話題にもならず、観客も少なかった。

人種問題というシリアスなテーマに取り組んだホラー映画で、オバマ政権下の2017年に生まれ、「この映画でアメリカの黒人問題は峠を越した」と騒がれた。

その後、どちらかいうと白人崇拝色が強いと目されるトランプ政権が発足、「いまなお人種の壁は厚い」とする見方も少なくない。

以前、「ミシシッピーバーニング」いうこの問題に正面から取り組んだ映画を観たが、今回はホラー作品ということもあってか、それほどの重苦しさは感じられなかった。

NYに暮らすアフリカ系アメリカ人の写真家クリス(ダニエル・カルーヤ)は、とある週末白人の彼女ローズ(アリソン・ウイリアムズ)の実家で過ごすことになる。

ローズの両親はリベラルな医師で二人の交際を一見理解しているが、弟はクリスへの反感が強い

管理人と家政婦は黒人だが、それぞれにローズに強い関心を示す。ヘビースモーカーのクリスは禁煙のため、精神科医の母親から催眠療法を進められそのまま気を失う。

翌日、裕福な白人仲間を呼んでのガーデンパーテイーで、カメラを回すクリスは、唯一の黒人客ローガン(妻は富裕層白人)に血を流しながら襲いかかられ、突然「出ていけ」とののしられる。

得体の知れない異様さに巻き込まれ、クリスはローズとともに実家からの脱出を敢行するが、エンデイングには予想外の結末が待ち受けている(マル秘)。

アメリカの人気コメデイアンの初映画監督作で、お笑いとは程遠い本格的ホラー作品として見事に仕上がっているが、人種問題への関心がさほどでもない日本ではなかなか人気が出ないのもどことなくうなずける。